消耗しきった一日だった。
ファイザーワクチン2回目の副反応の影響なのかよくわからないのだが、身を起こしているのがつらくて、その影響と思われるかゆみもまだつづいている。
起きている間は温存していたアクエリアスをクリアボトルに移していただいた。
それからしばらく記事を書いたり、家事をしたりと動いていたものの、どうしても起きていることがつらくて、長らく身を横たえて過ごした。
季節の変わり目ということもあるし、式日が間近に迫っていて何かとストレスを感じることが増えつつある。
うつが明らかに悪化していて食欲もなく、今日も2食のみという有様だった。
inゼリーをストックしているものの、主人に「あまりハマらない方がいいよ」と釘を刺されてしまった。
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私としては固形物を摂ることがなかなかつらい日々がつづいていて、inゼリーの存在は本当にありがたいのだけれど。
それでも今日は温かいおそうめんを朝からいただいて調子を著しく崩したので、食べることが下手になっているのかもしれない。
胃腸の調子も相変わらずよろしくない。胃腸が弱っているから食欲がないというのも道理なことだし、今は口にしやすいものを摂るのがいいのだろうと思う。
体重も1kg落ちた。せめて46kgはキープしたいのだが、この様子ではそれも切るかもしれない。
そういう状況なので創作にもなかなか意欲が向かず、短歌も詠めないし詩を書けない日々がつづいている。
今は療養を最優先にするしかないのだろう。
療養を目的とする帰省を決断したのも、そうした背景があってのことだ。
とはいえ完全に創作をやめてしまうと、今度は自責の念が湧いてくるので、せめてブログだけは何とか更新したい。ここのところこの日記を書くこともつらい日々がつづいているけれど、この場は本来こうして自分を見つめ直す場としての役割を担っているから、今は原点に立ち返りたい。
原点回帰といえば、梅地和子『鬱の壺』を再読した。
鬱の闘病生活と、老年の回顧を直裁な表現で歌い上げた歌集。悲嘆と怒りを詠むその姿勢には偽るものがなく、読者の心を打つ普遍性を感じる。
奪ひさるのは非情ですいまのわが命のひびき歌う短歌(うた)まで
蔓薔薇に全身巻かれ血を止める術無きわれの生涯
もう一度療養短歌の原点に帰りたくて手に取ったけれど、そこには絶望とともに生きることへの祈りと切実さが見て取れた。
療養詩歌を作ると決めながら、そこからやや離れてしまっていた自分に気づき、改めて自分の今の創作の原点に立ち返りたいという想いに至った。
ここのところ短歌や詩を作れていないのも、ひとえにこの視点が欠落していたからなのだし、今の私にはまだまだ療養を詠み、歌うという詩歌の力が必要だ。
それは強い必然性の上に生まれるものであって、耽美主義を掲げていた自分よりも、よほど今の自分の作品の方が私は好ましいと思っている。
弱い自分を見つめ、その上で詩歌を作り、歌うことを今後とも志向していきたい。
それから主人が私がプレイするポケモンソードが観たいというので、ジムチャレンジの開会式まで進めた。
ムーンの時に手に入れられなかったヌイコグマを手に入れられて、今のパーティーはヒバニー、クスネ、ワンパチ、ラルトス、カムカメ、ヌイコグマとなっている。
このうちカムカメはリストラ予定で、さらに美しいみずポケモンがいれば交代させたい。
ひとまず技のバリエーションと好みで選んだけれど、今のところそこそこ気に入っている。
ラルトスは性別を良く見ていないので、メスの場合はそのまま育てるけれど、オスの場合はまた捕まえ直したい。
そうしてポケモンをプレイしながら主人が淹れてくれたルピシアのダージリン1stフラッシュをいただいて、主人が買ってきてくれたいちごポッキーをいただいた。
和やかなひとときになってほっとしたけれど、ここのところ主人とあまりコミュニケーションが取れていない気がするので、できればどこかのタイミングで宅飲みに誘いたい。