早朝覚醒で6時ごろ起きて、希死念慮にほぼ一日中苛まれた一日だった。
とにかく生きているのがやっとという有様だったけれど、その分創作が捗った。
短歌を10首詠んで、その出来にどうにも納得できなかったので、過去に作った折本歌集を読み返して方向性を確かめ直すことにした。
すると自分自身が療養短歌を掲げながらも、選歌に当たっては耽美的な作風を良しとしていたことが目に見えて明らかになった。
私は切実さを伴わない表現をできるだけ避けてきたつもりだったのだけれど、それでも審美的な価値基準というものは染み付いて離れるものではないのだと改めて感じた。
もちろんプロの歌人の歌集を読んで学ぶことも大切だけれど、時々こうして自分の来し方を振り返って、今の自分の姿勢を問い直すことは必要だろうと思う。
そういう点ではやはり紙の折本は手元にあるとうれしくなるし、できれば歌集も紙の同人誌を……と思うのだけれど、あいにくと今のコロナ禍の状況ではそうそう捌けないことは明白なので、ひとまずKDPで歌集を編むことを目標としたい。
短歌といえば昨日はできるだけ古典和歌に寄せた歌ぶりで詠んでみようと思い立って何首か詠んだのだけれど、この試みはもっと深化させていくと新たな自分の境地が拓けるかもしれないし、古典詩歌に触れて学んでいきたい。
ここのところ主人がインプットに励んでいる様子を見聞きするにつけて、私も励まねばと思う。
憂鬱でしょうがなくてなかなか気力もないけれど、それでも学ぶ姿勢は大事にしたい。
それからココア共和国に詩を投稿した。
詳細はこちらに書いたので重複は避けるけれど、こうして弱っている時ほど積極的にアクションを起こしていきたい。
それから今日はうつがあまりに重かったのでアニメなどは観ずに主人と話したのだけれど、話しているうちにClariSの曲の数々が頭の中に流れてきてとても幸せな気持ちになった。
私は昨年にテレビアニメ版魔法少女まどか⭐マギカを観て、それからClariSを聴くようになったので、ハマってからまだ日が浅いのだけれど、それでも彼女たちの楽曲がこうして日常の一部となってきらめきを放っていることが本当にうれしい。
最近の楽曲だと恋待かぐやが好きで、もう何度も聴いている。
カラオケに行けるご時世なら行って歌うのだけれど、あいにくとコロナ禍なのでなかなかそういうわけにもいかず、もっぱら聴くばかりになっている。
それでもクララちゃんとカレンちゃんの歌声のハーモニーには日々癒されているし、今後とも推していきたい。