ANIRON

ひとりごと日記

2021.09.13 Twitterに飽きてきた

Twitterの運用を見直す時に来ているのかなと思う。

これまではやめたいという気持ちがつづけたいという気持ちを上回ったときに一ヶ月なり、半年なりの間やめていたのだけれど、ここ一ヶ月ほどほとんどTLを観ていないし、ツイートも宣伝ツイートがメインになってしまっている。

ここのところTwitterでは下手なことを云えないという空気が醸成されていて、それは私が保守的な思想を抱いているというのがもっとも大きな要因なのだけれど、左派のツイデモやら姦しいツイートやらが多くて辟易してしまい、少し離れたいという想いが強くなった。

それに加えてさまざまな経緯があって詩歌サークルを退会したことによって、創作仲間とネットでつながることに否定的な見方をするようになったというのも大きな理由だ。

結局のところ大学の文芸サークルの延長で今は同年代の仲間と創作上の付き合いをしていて、それで十分だということに気づく。

 

30代という大事な時期をTwitterに費やしていいのかと悩んでいたこともあったけれど、今はそのような悩みすらなく、ただ飽きたというのが正直なところだ。

他人のツイートに全く関心を持てないし、近しい友人とつながっていられれば私はそれで十分だということなのだろう。文学や読書を通じて人とつながりたいという欲求ももうない。

人一倍寂しがり屋ではあるけれど、それ以上に人一倍傷つきやすいので、Twitterが残したものは大小さまざまな傷だけだったと云っていい。

 

そういうわけでひとまず身内垢はこれまで通り運用していくけれど、雨伽詩音名義のアカウントは宣伝にのみ使うことにしたい。

今は病状が悪くてツイートをする際に過剰に気を遣ったりする気力がないし、他人のツイートに傷つけられたり、逆に自分のツイートが少しでも誰かを傷つけるものであってほしくないと思ってしまった結果、今はTwitterという場で何も語らないのがいいのだろうと判断した。

 

私にとってTwitterが創作意欲を左右することはこれまでもこれからもないし、自分の自発的な意思によって詩を書いたり短歌を詠んできたから、Twitterを通じて評価されたところで私にとってはなんらプラスにはたらかないということは書いておきたい。

そのことを誤解されて一方的に嫉妬され、過去に疎遠になってしまった人もいた。

創作の動機を誰かの価値判断に委ねることほど恐ろしいものはないし、私は自分が書きたいと思えば書き、そうでなければ書かないだけの話で、そこに他者が介在する余地はほとんどない。

読者の皆様と作品やブログを通じてつながれればそれで十分で、ディスコミュニケーションの空疎さを味わいながらネット上で人とつながっても虚しいばかりだし、とにかく今は大学という地縁を大事にしたい。

今の私にはそれで十分なのだろうと思う。