結婚式を月曜日に控えていて、体調は悪化の一途をたどっているのだけれども、その中でもふたつの希望があったので記しておく。
ひとつはKDPとして出版した図書館エッセイ『図書館という希望』が思ったよりもお手に取っていただける機会が多いということだ。
ブログ「広寒宮」で綴ってきた図書館にまつわるエッセイに書き下ろしを加えた、図書館エッセイ集です。「もうひとつの家」としての図書館との付き合い方や、蔵書にまつわること、一利用者から見たコロナ禍の図書館の記録、幼少期に通った図書館との思い出など、今だから読みたい内容をぎゅっとまとめました。本書が図書館を愛するすべての人の友となりうることを心から願っています。-収録作品-図書館という希望ふたつの棚図書館という友人ふたたび図書館へ一図書館の使い方を模索するコロナ禍の図書館について蔵書の整理ふたたび図書館へ二先達の目とBANANA FISHにみる図書館の精神図書館という知の海に漕ぎ出す図書館で知を拓く学校の図書室の思い出非常事態宣言下の図書館本書に登場した書物
KDPを出す前は不安が強かったし、エッセイ集を出してもさほど読んでいただけないのではないかと思っていたのだけれど、むしろ詩集よりもエッセイ集の方が手に取っていただけているようで、ブログ書籍化の目処がひとつついたなと思う。
引き続き広寒宮の記事を中心に書籍化に向けて、引き続き記事を書いていきたい。
まだまだ時間はかかりそうだけれど、それでも書き溜めて行くことがひとつの希望になるという実感を得られたことがうれしかった。
ふたつめはなかなか本を読めずにいたのだけれど、kindleで買って積んでいた渡辺和子『置かれた場所で咲きなさい』を読めたこと。
そのことはブログにも書いたので重複は避けるけれど、著者の渡辺和子シスターの言葉が病みつかれた私の心を慰撫してくれたのがありがたかった。
積読本を減らせるといくらか気持ちも楽になるので、今後とも積読本を消化すべく、さまざまな本を読んでいければと思う。
今月はここまで3冊しか読めていなくて、月15冊ほど読んでいた身からすると大幅なペースダウンとなってしまい、そのことに自責感を抱いていたのだけれど、思い切って手に取ってみると新たな扉が開く気がする。
本というものはつながっているから、この『置かれた場所で咲きなさい』で紹介されていたフランクルの著書も100分de名著で読んだことを懐かしく思い出した。
そうして本の力を借りながら何とか生きていきたい。