ANIRON

ひとりごと日記

2021.10.08 サークル活動再開

主宰している文芸サークル・かもめのメンバーに声をかけて、活動を再開することにした。

そのことはこちらの記事に詳しく書いたので重複は避けるけれど、さっそく短歌30首を寄稿した。

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まだ再スタートを切ったばかりなので、本格的な活動はしばらく先になるし、メンバーも育児に仕事に忙しいので、定期更新ではなく、不定期更新になるかと思う。

しばらくは私が主体となって更新を行い、その合間にメンバーの都合に合わせて作品を載せてもらうということになった。

それから夜には大学時代の後輩の女の子と歌会をして、創作という点では満ち足りた一日になった。

 

とはいえ、模索はまだまだつづく。

今は短歌よりも詩を書く方が楽しいし、現に帰省してからは短歌を7首詠み、詩を2篇書いた。

そうして詩歌に舵を切ると決めたものの、それでもやはりどこかで小説が恋しくなったり、俳句に焦がれてしまうところがある。

選択と集中という言葉があるように、ここでいったん詩に注力して、さまざまな詩誌に投稿することを考えるべきなのか、それとも思い切って再び小説の道へと戻りたいのか。

私自身もまだ答えが出ない。帰省をすればその片鱗でも見つかるかもしれないと安易に考えてはいたけれど、そう甘いものではない。

創作を通じて自ら答えを見つけていかねばならないと思いを新たにする。

療養詩歌を作っていて、短歌は700首を詠んだ。そろそろジャンルの違う短歌を詠んでもいいのかもしれないとも思いつつ、それでもやはり短歌もまた私にとっては「歌」だから、心の発する歌を形にしたいという原点には変わりがない。

言語芸術としての短歌と、私小説的な要素を持つものとしての短歌の間で揺れ動いている。

俳句はその点もっとソリッドな芸術であると思っていて、そこに過剰なエモーションを挟まなくても俳句として成立すればいい。

詩も短歌も、そうした言語芸術としてのあり方を突き詰めていけば、もっと伸び代が生まれるのかもしれないけれど、私はそうしたことにはあまり関心がない。

あくまでも自分の喉から溢れる歌を重んじたい。その上で短歌なり、詩なりに落とし込んで、それらが詩歌として成り立つようにと心がけている。

 

帰省を通じてさまざまなことを感じる中で強く思うのは、やはりこの土地には停滞しかないということだ。あまりにも保守的なこの土地に縛られたまま生きていくことなど、私にはやはりできないと思う。

四六時中テレビがついていて、私が実家に置いていた本があらかた処分されて、何らクリエイティビティのない実家にいると、焦燥感が強まる一方で、それは20代の頃からあまり変わらないのかもしれない。

東京に出なければ私は小説を書くことも、詩を書きつづけることも、おそらく難しかっただろう。

そして文学を重んじる伴侶に恵まれて、そうした仲間とも出会えて、その環境を与えてくれた両親には感謝しているけれど、やはり私のいるべき場所はここにはないのだという思いも一方で抱く。

その焦燥感を力に変えたい。