昨夜、少量のビールを飲んだのが悪かったのか、PMSの症状が出ているのか、一日中鬱々として発作も出て、どうしようもないので昼寝をした。
それでも病状は良くならず、母に付き添って買い出しに行く予定だったのだけれど、それも叶わなかった。
この家にいると現実的な話しかしないので、フィクションを含めて虚構の話しかしない東京の家が恋しくなる。
お金のこと、人間関係のこと、さまざまに対処すべき問題があるのは分かるけれど、私はそれらについてあまり深く考えないし、そうしたことにあまり煩わされない環境で生きているということは、妹の云うようにたしかに「恵まれている」のかもしれない。
かといってお金に余裕があるというわけではなく、実家の凄まじい浪費癖に比べれば慎ましい生活を送っているからというだけなのだけれど。
そうしたことでどんどん耳も心も汚れていく気がして、「心よ原始に戻れ」の
おやすみ モラルに汚れていた指も耳も
この腕のなかで もう眠りなさい
という歌詞が心に響いてやまない。
そうしていくらか消耗して詩を書いた。
メンタルが著しく参っているときに溢れてくるのは歌であり詩のほかに何もないから詩を書いているのだけれど、自由詩はまだ私のものになってはくれない。
ここのところすっかり散文詩から離れているので、ふたたび書いてみたいとも思う。
そうして時々は原点に立ち返らないと、道を見失ってしまいそうな気持ちに囚われる。
こと、この本がまともになく、処分される一方の部屋にいるとひたすら焦りばかりが募る。
捨てられたのは本ばかりではなく、私の青春そのものなのだという思いが頭から拭い去れない。
今朝はあさイチで読書特集を観たけれど、外側のトレンドばかりを追うことに終始して、なんら本を読むことそのものの核心に触れられないまま終わり、不全感が残った。
主人に勧められた松岡正剛『多読術』を読んでみて、いくらかでも読書量を元のペースに戻したい。
焦りばかりが募る中で調子を崩し、つくづく休むことが下手だなと思う。
療養のために帰省したはずなのに、少しも心が休まらないのは、私自身のメンタルの状態が芳しくないからという理由に尽きるのだろう。周りの環境に文句ばかり云っても、残り3週間を乗り切ることは難しいし、せいぜい自分にできることを精一杯やるしかない。
この間、新たに出会い直した友人とも連絡を取って、少しばかり詩の話をした。
Twitterから離れてみて本当に良かったと思うのは、こうした間柄の人たちとふたたびつながる糸口を見出せたという一点に尽きる。
焦りもマイナスにばかり捉えるのではなく、やる気としてエネルギーに変えていきたい。
そのための時間だけは私に許されているし、体調はよろしくないにせよ、何はともあれ時間だけは私の財産として残されている。
この時間をいかに使い、限られた人間関係の中でいかに良好な関係を築いていくかが、これからの10年の課題になるのだろう。