ANIRON

ひとりごと日記

2021.10.20 #1 ふるさとへ帰った日

母がひとりで暮らす祖父の世話をしに行くというので、私も付き合うことになり、2年ぶりにふるさとに帰った。

東京から帰省したこともあり、気が引けたのだけれど、ワクチンを2回接種していることと、長崎に帰省して2週間が経ち、その間コロナの症状は全く出なかったので、帰って良いだろうということになった。

バスに揺られること一時間、ようやく辿り着いたふるさとで、まずは稲田比売命を祀る神社に参拝して、ふるさとの安寧を祈願した。

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信心深い祖母に育てられたとはいえ、幼少期にはやはりまだそういうことには疎かったこともあり、ふるさとを離れてからはほとんど訪ねることもなかったので、この神社へのお詣りはかねてからの懸案事項だった。

できれば東京の自宅のお宮でお祀りするために、ご神札などをいただければと思ったのだけれど、人の気配が全くないので、お詣りするだけに留めることとなった。

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それから母は祖父の世話をあれこれとして、私もいくらか話したのだけれど、それでもさまざまな思いが錯綜して、うまく気持ちを伝えられない。祖父が元気そうな姿を見て安心したけれど、生来口下手ということもあり、母に祖父の相手を委ねる形となった。

祖父母の家についてからは、真っ先に仏壇にお参りして、若年性アルツハイマーのような様子が伺えることが気がかりな母のことや、このふるさとの集落の安寧のことなどを祖霊に祈った。

その後一人で自転車を漕いで、集落の様子を見て回った。

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高齢化と過疎化と獣害によって、このふるさとはどんどん荒れ果てていってしまっていて、稲作を行なっている農家も随分と少なくなってしまったようだ。

荒れ果てた田を眺めるのがつらくて、せめてもと稲刈りをして稲穂を干している様子を写真に留めた。

以前は欠かさず花とお神酒が供えられていた、土神や水神の碑石も、今は獣害を防ぐための電気柵の向こう側で草木に埋もれてしまっていて、見る影もない。

民俗学をかじっていたこともあって、学生時代に随分と集落のそうした様子を写真に収めたけれど、せめてそうした写真を残しておいて良かったなと思う。無論私の胸の内にもその光景はしっかりと刻まれている。

そうして気を落としているうちに、父が父方の祖父母の墓参りに誘ってくれていたことを思い出し、もちろん父方の祖父母のことも心から敬愛してやまないのだけれど、私のふるさとは母方の実家のあるこの集落なので、母方のお墓にもお参りしたいと母に申し出た。

ちょうど母のご友人が迎えに来てくださる時間まで残り30分ほどあり、集落の祖父母の家から歩いて山を登ったところにお墓がある。

コロナ禍ということもあり、また祖父母も高齢で、今度はいつふるさとに帰れるのか全く見通しがつかない。

東京にいる間は上に載せたお宮に日々詣でて、ふるさとのことや祖父母の安全ことを祈願しているけれど、かねてから祖霊にきちんと礼を尽くしたいという思いもあった。

もちろんこれまでも長崎にいた頃にはお彼岸のときに親族で集まってお墓参りに行っていたけれど、それぞれ孫世代が独立してからは、その機会もなくなっていて、東京でお彼岸を迎えるたびにもどかしい思いを抱えていた。

そうして提案をして、母もそれがいいと乗ってくれたので、支度をして山道を登ってお墓に参り、親族だという方のお墓にもお線香を供えた。

その親戚筋の方のお墓には土神の碑石もあり、こんなところで出会えるとは……! とうれしさがこみ上げてきて、そちらにもお詣りした。

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そうして風景を一望できるお墓から、ふるさとを見下ろすと、万感がこみ上げてきて、なんともたまらない気持ちになった。
ここのところ鬱の病状が重くて泣くに泣けないので、涙は出なかったけれど、心のうちでは滂沱の涙を流していた。

祖父母の家に戻り、祖父に墓参りをしたことを母が伝えると、祖父もたいそう喜んでくれて、こうして保守思想を抱く人間として、祖霊に対して礼を示たこと、ふるさとへ帰って、その風や虫の声や、煙のたなびく香りなどを五感で味わえたことは本当に良かったと思う。

今回の帰省に際して、さまざまに複雑な思いを抱える日々がつづいていたけれど、こうしてふるさとの地を再び踏めたということが、どれほどありがたいことなのか、改めて思い知った。

これからもふるさとのことや、長崎のことをずっと心にかけておきたいし、ふるさとを大切に思っていたい。