ANIRON

ひとりごと日記

2021.10.28 #2 それでも許すしかない

aniron.hatenablog.com

主治医とは別の担当医にリスパダールを処方してもらえると聞いたことでようやく安心したのか、その後は体調が改善しつつある。

母とも話をして、仕事中は苛立つのは仕方のないことと云われたけども、もはや境界性パーソナリティ障害で働いてるだけでも偉い、という気持ちになってきた。

本人には全く病識がなさそうだし、おそらく今後も自ら治療することはないと思うのだけれど、周囲にいる家族が病識を得ることも大事なのだなと気づいた。

帰京したらパーソナリティ障害の本をあれこれと探して読んでみようと思っている。

これでまた東京の家の本棚にメンタルヘルスの本が増えることになりそうだけども、私自身が精神疾患の総合デパートのような様相を呈しているので、まあ仕方がない。

 

なぜ精神的に健康な家庭で育った私だけがこんなに多くの精神疾患を抱えねばならないのだという理不尽な思いもずっとあったのだけれど、母もおそらくずっと苦しかったのだろうとようやく思い至った。

本人がどこまでその苦しさを自覚しているかは分からないし、その話を深く掘り下げて話すつもりはないけれど、少しだけ気持ちにゆとりが生まれつつあるのかもしれない。

とにかく相手の懐に潜り込んで共依存状態になってしまえば、それがよろしくないことだという大前提はあるにせよ、少なくとも付き合い方としてはもっとも負担がないというのは確かなことで、それを今なお地で行くのが妹ということになる。

そういうわけで妹とはなかなか折り合いがつかないのは確かなのだけど、いずれにせよ距離は開いているので、引き続き適度に距離を置いて付き合うというのが正解なのだと思う。

 

機能不全家族の家庭に育った身として、過去を嘆いても足りないということはないけれど、私ももう結婚したのだし、新たな家庭でしっかり励んでいかねばならない。

そういう意味では精神的に母と訣別し、あるいは許すために、この数日の極度の消耗と希死念慮がもたげてきたことは、半ば致し方なかったのだと思う。

間接的に母に殺されるのだという思いもあったけれど、今は少しでも母と私自身の気持ちが安らかであることを願うしかない。

先日「他者への祈り」という日記を書いたけれど、私は東京の家で母のためにも祈ってきたのではなかったか。

aniron.hatenablog.com

f:id:aniron:20210904182033j:plain

むろんPTSDの症状が悪化したことや、極度のうつ状態になったことの大きな要因はこの機能不全な家庭の有様にあるけれど、それでもどこかで相手を許さない限り、私の心もまた癒えることはない。

そういうことを教えてくれたのは、戸澤宗充『すべてを喜びとする。』だった。

もう何度読み返してきたことかわからない本で、宗旨は異なれど、宗教者として本質的な事柄を踏まえつつ、自身の多難な体験に照らし合わせて、女性としての自立を説くこの本は、私にとって大切な一冊となっている。

迷ったとき、どうしようもなく落ち込んだとき、この本が私の心の支えとなってきた。

電書でも紙の本でも持っていて、この機会にまた読み返すのもいいのかもしれない。

とにかくここ数日はもっぱら消耗しきっていたので、自分の心を安らかにしてくれる本の存在をこうして思い起こせただけでも、いくらか心が休まったということなのだろう。

 

30歳も終わろうとしている今、母を許せないという想いのままに母と対峙しつづけるのもなかなか気力の面から云って難しくなってきた。

もちろん機能不全な家庭に育ったことの憤りややるせない気持ちは消えるわけではないけれど、それでも父も母によって傷つけられてきたということは前にも書いた。

aniron.hatenablog.com

そして母もまた本質的な意味での幸せから縁遠い世界で生きてきたのだと、今ようやくわかった気がする。

毒親、親ガチャという言葉を用いることに、一定の線を引いてきたことは、おそらく間違ってはいなかったのだろう。

つらい思いをしてきたことに変わりはないけれど、それでもどこかで折り合いをつけなくては、自分自身が大きな十字架を背負って生きていくことにつながりかねないのだと思う。

私にはその勇気はないし、親を捨てるとか、絶縁するといった強い衝動に任せた行いは、やがて自分自身にも降りかかってくるのだと信じている。

精神疾患を患いながらも必死で生きているのはお互いさまなのだし、母も昔よりも年齢を重ねて、やがては弱ってゆく。

介護の面倒を見られないかもしれないという強い葛藤を抱いていたけれど、母と話して、母なりに私を気遣ってくれているのだなということは伝わってきたし、できれば保守思想を全うすべく、母のことをもう少し前向きに受け入れられればと今は思う。

この先つらいことがあって、やはりもうどうしようもなく無理だということになるかもしれない。

それでも見捨てられ不安が根底にあるという境界性パーソナリティ障害の特徴を鑑みて、その時々で距離を調整しつつも、関わりを持ちつづけるというのが親孝行なのかもしれない。