所用があって伯父が泊まりに来ていた。
そのことはこちらの記事に書いたので重複は避けておきたい。
ただ、夕食の席でお酒も入って身内だけの席ということもあってか、伯父もいつにも増して饒舌だったし、いつもは無口な父も、いくらか思いの丈を話してくれた。
曰く、父は妹よりも私をかわいがりたいのだという。境界性パーソナリティ障害と主治医が見立てている母と衝突することも多く、数多くの精神疾患を患うことになった私を、父なりに案じていたのだということがわかった。
これまで私はどちらかというと父のことを不在の存在のように思ってきたし、彼が育児に関わることもほとんどなかったので、父の思いは汲み取れないまま育った。
思い返せばその父はかねてから私の肩を持ってくれていたのだということをようやく思い起こしたし、以前にも書いてきたように、精神的に不安定な母と暮らす苦労は、老年に至っていや増しているのだろうと思う。
これからはもっと父を大切にしなければならないと改めて感じるとともに、長年にわたって父が地方公務員として保守思想を全うし続けた姿をよくよく重んじなければならないと思う。
ふるさとを大事に思う私にとっては、土地に根ざして国のため、県のために働きつづける公務員たちには頭が下がる思いしかない。
私自身は、中学時代には親が公務員でいい暮らしをしているからという理由でいじめられたこともあったけれど、それでも一度も父を恨んだことはなかった。どちらかというと非難を浴びることの方がよほど多い職業だし、県民に非難されこそすれ、感謝はされないつらい仕事も父は担ってきたと聞いている。
もしも何かあれば真っ先に責任を負わされたり、給料カットを叫ぶ人も多い仕事を、父は高校卒業時から定年、そして再任用に至るまで、長年にわたって続けてきた。きっと耐え難い思いをしたことも一度や二度ではあるまいと思う。
そういう父のことを誇りに思うとともに、こうして父の収入と、高い意識があったからこそ東京の有名私立大学へ進学させてもらえたこと、そうして今の主人と出会えたことを恩義として改めて感謝したい。
その父が3日は父方の祖父母の墓参りに行こうと云うので、できるだけ体調を整えて臨みたいと思っている。
前にも書いたように母方の家系の墓参りは済ませてきた。
父方にもできるだけ礼節を示したい。現に、東京にいても幾度となく父方の祖父母のことを思い出し、毎日読経を上げていた祖父の朗々とした声や、祖母が毎日身綺麗にしてメイクをしていたことなどをいまだに思い出す。
保守思想というものは、空疎な理想論や暴力的なイデオロギーではないのだということを改めて実感する帰省となった。そこには人間の脈々とつづく血が通っていて、父祖代々からの想いや伝統が息づいている。
学生時代はとかく左派の考え方を叩き込まれたので、保守思想を掲げる人間はいかにも知性のない、旧時代の産物だという考えを持っていたけれど、人間にとってより良く生きるため、あるいは人間として真っ当な道を父祖から受け継ぐために、保守思想は血の通った思想として実践していく必要があるのだと思う。
おそらく鬼滅の刃がこれほどヒットしたのも、根底にはその血の通った保守的な家族のあり方が、今の心身ともに貧しくなってしまった日本人の心に深く染み渡ったからなのだろうと思う。
帰京したら儒教の勉強もしてみたいと強く思うようになった。
儒教的価値観は、今や崩壊しかかっているけれど、そのあり方を再検討するということが、今後の日本の社会を生きていく上で、あるいは人としてより良い生き方を模索する上で、どうしても必要なことなのではないかと思う。
上に述べた伯父も、義理と人情という二つのキーワードを元に色々と教えを授けてくれた。
それに礼をもって応えたからこそ、彼から多くの言葉を引き出すことができたのだと思うし、自分自身の心の修練だと思って、さらに学んでいきたい。