帰京して疲れが出てしまい、夕方までぼんやりして過ごした。
何を読むべきか判断がつかず、小一時間ほど本棚の前に座りこんで考えこんだりしているうちに気が滅入ってきて、やがて鳴った電話に出ると、心療内科の医師からだった。
予約は変更して12日にしたはずなのだが、変更前の今日かかってくるとは思わず、ここ数日の状況を話した。詳しくは書かないでおく。
ただ、「秋はもともと調子を崩しやすくて」と云うと「この秋は色々ありすぎてつらかったね」と云われた。
そんな風に私に寄り添ってくれる人は誰もいなかった。この一年というものの、PTSDの再燃にはじまり、十年選手のメンヘラではなかったらとうに死んでいただろうなと思うことも多々あった。
ひとりきりで闘病するのにももう疲れ果てている。
心おきなく思いの丈をぶつけられるのは私には詩しかなく、さまざまな外的な事情から小説の道に行き詰まっていることも、母をはじめとして周囲の人間たちとうまくいかないことも、ただひたすらに耐えかねることだった。
主治医からは発達障害の新薬が出たので、そちらに今飲んでいるシクレストを切り替えること、「実家からはとにかく逃げてください」と伝えられた。
医師から逃げろと云われたのだから、もうどうしようもない。私の対応に非があったのだと何度も自分を責めたし、「親を許さないこと」を自分に絶対に許さなかったし、保守思想に拠ることでなんとか自分と母との軋轢をなだめようとしたし、やれるだけのことはやってきた。
それでもどうしようもなかった。
ただただ消耗し、疲れきって一年が終わろうとしている。夜は一年の間一度たりとも明けなかった。
それでも生き延びることだけを考えてなんとかやり過ごし、一日一夜を乗り越えてきた。もうそれだけで充分やりきったのかもしれない。
人には私の労苦など知る由も無いのだろうけれど、私もまた彼らの困難のすべてを自分と等しく思うことはどうしてもできない。母からは「あなただけが苦しいんじゃない。みんな一緒」と云われ、妹からは「お姉ちゃんは恵まれている」と云われた。
乗り越えられない不眠の夜を詩を書いて足を引きずって歩いてきた身にはあまりにつらい言葉だった。
そうしているうちに様々なものが届いて、そのうちに長崎のローカル局で放映されていたドキュメンタリーで取り上げられていた、遠藤周作の『影に対して』があり、表題作だけひとまず読んだ。
終始嗚咽を漏らしながら泣きっぱなしで読んだ。「アスハルト」の道を選んだ父と、芸術の高みを目指し、「砂浜」を歩む人生を選んだ母。母の面影を愛しながらも、その呪縛に囚われた主人公の哀切さがたまらなかった。今読むべくして出会った一作。
最初から最後まで泣きっぱなしで小説読んだことなかったからびっくりしてる。色々私も限界だったんだなと気づいた。
私自身は芸術の高みを目指して生きていたいと思っているけれど、それでも重力に引っ張られそうになる。この「母」もきっとそうだったんだろうなと思うと切なくてやりきれない。私はアンチフェミだけど、フェミニズム的観点から見てもかなり意義のある一作だと思う。
ここ最近小説を読んでいるとひたすら泣いてしまうので、なかなか思うように読めないのだけれど、今まさに出会うべくして出会った小説だったと感じた。
小説を書けなくなってしまった私にとって、小説を読むということは大きな苦痛をもたらす気がして、ここのところほとんど読めずにいたのだけれど、それでもやはり私にとって物語は決して欠かせないものなのだと痛感した。
「なんでもいいから」母は彼に向かって言った。「自分しかできないと思うことを見つけて頂戴。だれでもできることなら他の人がやるわ。自分がこの手でできること、そのことを考えて頂戴」
「父さんは平凡が一番、倖せだといつも言っているけれど」
母は苦い顔をした。
「母さんがなんのために、こうして一生懸命生きてきたか、よく考えて頂戴」
──遠藤周作「影に対して」p66
母さんはながい間、苦労して、一人ぼっちで生活して、あなたの面倒も見てあげられなかったけれど、それを償うためにも勉強だけはしてきました。毎日、毎日、勉強だけはしてきました。だから自分の勉強から言ってもSさんのヴァイオリンが、テクニックだけで、音楽というものが何もわかっていないことを感じました。テクニックだけのことなら、練習で誰でもうまくなれますが、音楽にはもっと高い、もっともっと高い何かがあるのだと母さんはいつも思っているのです。演奏会が終わって一人で夜道を歩きながら、あなたのことを考えました。そしてあなたもテクニックだけの人生を生きるような人間にならないでほしいと思いました。たとえ周りの人がそれを安楽だとすすめても。」
──遠藤周作「影に対して」p72
アスハルトの道は安全だから誰だって歩きます。危険がないから誰だって歩きます。でもうしろを振りかえってみれば、その安全な道には自分の足あとなんか一つだって残っていやしない。海の砂浜は歩きにくい。歩きにくいけれどもうしろをふりかえれば、自分の足あとが一つ一つ残っている。そんな人生を母さんは選びました。あなたも決してアスハルトの道など歩くようなつまらぬ人生を送らないで下さい。
──遠藤周作「影に対して」p73
芸術を志すこと、詩を書きつづけることが今の私をギリギリのところで支えている。
小説にも、きっと高みがあったのだろうと私は信じているし、いずれの日かまた高みを志して小説を目指したいという気持ちはある。しかしテクニック偏重の圧力がかかった状態では、到底自分の小説を書けそうにないのだ。
詩はその点で自由で、誰にも縛られることがない。即興で音楽を奏でるように書きはじめて詩として成立する瞬間、無上の喜びを感じる。
だからしばらく私は詩を書きつづけるだろう。誰にも期待されることもなく、誰から支配されることもなく、ただ芸術だけを目指してひた走るだろう。
道に迷った時、立ち止まりそうになった時、再びこの小説を読むことになるのだろうなと思う。それほど私にとっては運命的な出会いを果たした本となった。