ANIRON

ひとりごと日記

2021.11.09 信仰と思想と

信仰が揺らぐのが怖いから、帰省先の長崎で大浦天主堂に行けなかった。

帰京して数日経った昨日、母から大浦天主堂の写真が送られてきた。

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母に一切の信仰はなく、父もまた同様だ。

しかし私のルーツは信仰なくして語れない。幼少期は祖母に土地に根づく神々に手を合わせることを教えられ、母の都合もあってふるさとの仏教系の幼稚園に通って、のちにカトリック系のミッションスクールの高校大学と通い、大学で記紀神話を専攻した。

高校の第一志望校に落ちて、その後上京して有名私立大学に入ったことが、私の人生を大きく変えた。カトリックは確実に私のルーツの一つであって、それを否定することはどうしてもできない。だからこそ信仰が揺らいでしまうのがどうしても怖かった。

私のアイデンティティは土地に根づくものとしての神道にあると思っているし、それは今なお変わらない。

 

しかし、主治医から「実家から逃げてください」と昨日云われて、実家とのつながりを断たざるを得ない状況にあることがただただ苦しい。

実家とのつながりを断てと第三者が云うのは簡単なことだけれども、自分自身の感情の処理はそう簡単なことではない。

特に帰省前から神道により深く傾倒していた私は、父祖の祖霊が安らかであることを祈り、ふるさとの安寧を願い、あるいは長崎という遠方の地にいる両親の無事を祈ってきた。その他者への祈りが私の心を支えてきた。

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親を捨てることなどできないという思いは今も変わらない。母を許さない限り、私の心に安寧が訪れることはない。そう分かっているから、ただ無心に祈った。

しかしどうしても報われることはない。私に成せるだけのことだけは精一杯やってきたつもりだ。それは過去の記事をお読みいただければお分かりになることだと思う。

思索を通じ、祈りを通じて、母を許そうと努めてきた。しかし、報われない。

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キリスト教では赦しとは神の御業であり、人間になせることではない。

その神の御手に委ねることでしか赦すことができないのだとしたら、もはや己自身の力では限界があるのかもしれない。

父祖の土地も野草が生い茂って荒れ果て、ふるさとは獣害と過疎と高齢化で滅びようとしている。

私の祈りの根源にあるものはふるさとだが、そこにふたたび帰ることはもうしばらくないのだろうという覚悟を持って、ふるさとを後にした。

帰京してからは、月経周期と重なったこともあって、神棚に向かって祈れずにいる。

それでも稲田姫を祀る、400年を越えるふるさとの神社の写真を幾度となく眺め、その地と神棚とが地続きで繋がっているような感覚を噛みしめている。

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この日本という国を通じて、ふるさととつながっているという感覚だけを糧として、あるいは拠りどころとして、信仰をつづけていくしかないのだと思う。

部分的にキリスト教の教義の力を借りたり、あるいは仏教の本を読んで得たことを生かしたりしながらも、神道という信仰を全うする他に、私の生きる道はない。

主人からはカトリックを信じたいのなら、神道と一緒に信じればいいと云われた。

実のところそうしたいのは山々なのだけれど、信仰というものはどうしてもひとつに絞らざるを得ない性質を生まれながら持っているのだと思う。

思想は変えられても、アイデンティティを根本からひっくり返すことはどうしても困難だ。

私自身、何度かカトリックに改宗しようと試みたけれど、結局のところ自分のアイデンティティカトリックにも仏教にもなく、ただ神道にのみあるということを度々噛みしめることとなった。

神道に教義はない。ただ地縁共同体を保持し、あるいは祖霊崇拝を通じて血縁のつながりを重んじるというところに神道の本質があるとすれば、たとえ母を自分の力で許すことはできなかったとしても、私はこの血縁の全てをも否定する気はないので、やはり神道に則って生きるほかない。

一昨日前、三島由紀夫VS東大全共闘を観た。

私は三島のマッチョイズムがどうしても受けつけないので、三島の小説はあまり好まないのだけれど、それでも今改めて読んでみると感じるところも多いのだろうなと思う。

左派の主人から「真の保守とは何か、よく考えてほしい」と云われたけれども、私は私なりに保守思想について日々考えているつもりだ。その一端すら主人には話してはいないのだけれど。

ただこの場は、私にとってそうした思想を固める場でもあるので、今回のことも書き留めておく。