ANIRON

ひとりごと日記

2021.11.15 置かれた場所で

どうにもエビリファイが体に合わないらしく、躁転気味だったので、本を1万円ほど買ってしまった。

かねてから欲しかった葛原妙子関連の本と、波津彬子能楽漫画と、吉田隼人の歌集と書評集、かねてからTwitterやnoteを拝見していたかみしのさんの歌集、朝吹亮二『ホロウボディ』などだ。

葛原妙子歌集

葛原妙子歌集

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随分と躊躇いなく散財してしまったので何かおかしいと思って調べたところ、エビリファイを飲んで躁転したり死にたくなったりすることがあるらしい。

詳細はまた別途別のブログに書いたので重複は避けるけれど、気になる症状がいくつかあったので、ひとまず医師に相談をして服薬を中止したい。

 

それからかねてから読み返したいと日記に書いていた、渡辺和子シスターの『置かれた場所で咲きなさい』を再読した。

メンタルの持病が悪化し、胃潰瘍になり、このまま小説の道を進んでいくということがどうにも難しいと思い詰めて手に取った。
置かれた場所で咲くことを選ぶということは、一にもニにも現状を受け入れることから始まるのだと思う。小説の道に戻れない悔しさや、こんな筈ではなかったのにという思いばかりが募って苦しい一年を過ごしてきたけれど、今は詩で少しばかりの成果が実り、「とにかく今は自分にできることをやるしかない」という思いに至っている。
そうして病気に冒されている中でこの本と再会できたことは、私にとって大きな恵みをもたらした。やはりカトリックの精神は尊いなと感じるとともに、たとえ信仰は違っても、私も心清く生きていきたいという思いが強くなった。
折に触れて読み返し、自分を問い直す一助としたい。

そうして詩歌の道に進む覚悟を決めたから、上のように本を衝動買いしたわけなのだけれども、実際のところ短歌はそろそろ積読本がなくなってきていて、読む本に困っていたのだ。

葛原妙子歌集に関しては三一書房の本を持ってはいるけれど、こちらは須永朝彦宛署名入りの本なので、おいそれと触れない。

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そういうわけで閲覧用にと買うことにしたのだった。
詩歌の道を選ぶということを自分に課す以上は、いっそう詩歌を読んでゆかねばならない。

歌集は買ってからあまり間を置かずに読んでいるおかげで、積読本は少ないけれど、詩集に関してはまだまだ積読本も多い。

先日からボードレールをしっかり読もうと思って全集本を読みはじめたのだけれど、こちらはなかなか進んでいない。さらにペースアップを図りたい。

 

しかしこの日記で私が書きたいのはそうした外側のことではない。

生きていく上でどうしても詩を書かずにいられないから詩を書くのだという思いだけは決して手放すまいと思うし、詩歌の道を進むことに対して、妥協ではないかとか、小説から逃げているだけではないかという自己批判を絶えず繰り返してきたこの一年は本当に苦しかった。

小説を書けない自分も、周囲の期待に応えられない自分も、本当に情けなく思ってきたし、幾度となく心が折れた。

病気を恨んでも恨みきれず、親を許そうと思っても許しきれない弱さを、これほどまでに直視したことはない。

そうした中でこの『置かれた場所で咲きなさい』に再会して、病気になってしまったからこそ見えてきたものもあるはずだと説く渡辺シスターの優しさと厳しさに触れ、自分の器の小ささをいたく身にしみて感じた。

私は病気を受け入れて生きてきたつもりだったけれど、殊小説に関しては、それだけが自分の成すべきことだと思ってきたから、どうしても小説を書けない自分を受け入れがたく思ってきた。

それでも私の生きるべき道は他にあって、それは詩だったのだと今は信じたい。

私はカトリックとつかず離れずの距離感で付き合ってきて、弱った時にはこうして説教を本を通じて授かることで、なんとか前を向いてきた。

この本を通じて、病を本当の意味で受け入れて、それでも前に進みたいと強く願う。

たとえ結果が出なかったとしても、それも神の思し召しと思って受け入れられるような、謙虚な自分でありたい。