先日書いた記事が創作カテゴリのトピック入りしていたようです。
読んでくださった皆様、評価してくださった皆様、誠にありがとうございます。
さて、この二日間は一日中パパゲーノ状態だった。
やむなく録画していたNHKの「あなたもパパゲーノ」を観て、なんとか気持ちを宥めようとしたのだけれどうまくいかない。
自分の創作に対して肯定的な気持ちを抱けずに、弱ったままジブリのクラシックギターアレンジのCDを聴いていたら、「耳をすませば」の主題歌カントリーロードに行き当たり、こんなはずじゃなかったのになぁと思ってしまった。
耳をすませばの雫に憧れた幼少期、ひたすらに創作に打ち込んできた10代20代を経て、鬱を発症して、さまざまな経緯があって、自分の作品を肯定的に捉えることが難しくなってきた。
ココア共和国などを通じて評価はしていただけるし、自分のことをもう少し認めてもいいのかもしれないけれど、どうにも気持ちに折り合いがつかない。
せいぜい自分の置かれた場所で励むしかないのだけれど、ここで終わっちゃうのは嫌だなぁと思う。こんなはずではなかったという思いがあるのなら、その思いを糧にして、さらに励むしかない。とにかく同じ場所に留まっていてはどうしようもないという焦りばかりが募る。
読む方もしっかりやっていかねばならないと思って、再読となる田山花袋『東京の三十年』を読んでいたら、次の箇所が心に響いた。
N氏の書斎を私は自分の書斎のようにしてぐんぐん入って行った。私は其処から種々(さまざま)な本を借りて来た。ヴィクトル・ユーゴオ、アレキサンダー・ヂュマ、つづいてウィルキー・コリンス、チャアルス・ヂッケンス、こういう本を引張り出して来ては、わからずなりにも日課にして読んだ。
「君は豪(えら)い。よく読むな……。」
こうほめられるのが嬉しかった。
ある日、それとなく注意して歩いて見ると、長屋と長屋との間に小さな門があって、そこからずっと奥に入っていくようになっている家に、硯友社、尾崎徳太郎と蜀山人風に書かれた彼の自筆が際立って目に付いた。
「ははア、ここにいるんだな。」
こう思うと、私の胸は夥しい鼓動を感じた。自分より四つか五つ年上の一青年、それでいて日本の文壇の権威、こう思うと、自分もこうしてじっとしてはいられにないような気がする。羨ましいと共に妬ましいという気が起こる。若い血汐がわきかえる。急に、書きかけの小説を一刻も早く完成しなければならないという気になって、急いで家の方へと戻ってきた。
紅葉も羨ましいが、それを取巻いている漣とか眉山とか水陰とか言う人も羨ましかった。とにかく彼らは出発の道程に上りつつある。それであるのに自分は……自分は……。髪の毛を長くして不健全に蒼白い顔をしている私は──。こう思って自ら奮い立った。「今に、今に、俺だって豪(えら)くなる……日本分断の権威になって見せる……。」
巧かろうが拙(まず)かろうが、そんなことは構わない。また、売れようが売れまいがそんなことは問わない。とにかく毎月二つ乃至(ないし)三つの短篇を書こう。こう私は決心した。
(…)
この玉川上水に沿った路、この路を歩く間、私の頭はいつも熱い創作熱に燃えていた。私は絶えず書くべき短篇の題材に心を悩ました。私の若い心は躍ったり沈んだりした。
「傑作、傑作を書かずには置かない。」
おりおり私は心の中に叫んだ。
(…)
この川沿いの路を、私は尠(すくな)くとも三年乃至は四年は歩いた。従って毎月二篇乃至三篇を書くことにきめた短篇は、後には私の机の引き出しに余った。
こうして読んでみると、どれほど花袋が小説の道を志して血気盛んに励んでいたのか、痛いほどに伝わってくる。
今回こうしてこの本を開いたのも、一つにはこの花袋の熱い想いに触れて、少しでも自分の創作の糧としたいと願っていたからなのだけれども、読めば読むほど自分がいかに本を読んでいないかということを思い知らされるし、小説が書けない云々と諦めて、いじけている自分が情けなくもなってくる。
以前、妹に「YOASOBIの群青という曲がお姉ちゃんの創作スタイルのようだ」と評されたけれども、こんなに甘っちょろい感情で創作と向き合っていたらとうに筆を折っていただろうと思う。
好きなものを
好きだと言う
怖くて仕方がないけど
本当の自分に出会えた気がしたんだ
好きなことを続けること
それは楽しいだけじゃない
本当にできる
不安になるけど
私は生まれてこの方、創作を続けることそのものに不安を感じたり、自ら周りと比べて否定しようと思ったことはない。
自分の志すスタイルを貫けなくて、なおかつそれが世間に通用しなければそれでおしまいなのだし、そのせめぎ合いの中で自分のスタイルを絶えず模索してきた。
だから自分の作品を肯定できない時はあったにしても、創作活動をやめるという選択肢はまるでないし、そんなことで悩むぐらいなら筆を折った方がいいと思っている。
自分の作品を全肯定するつもりはまるでないし、創作の世界が果てのない青天井であることは云うまでもない。だからこそ迷いもするし、私はまだその道の半ばに立ってとぼとぼと足を引きずりながら歩いている。
そんな私を絶えず励ましてくれたのは、フランシュシュの楽曲だった。
そう簡単に死ぬわけにはいかないし、せいぜい生きて地を這いつくばってでも詩を書きつづけたい。
たとえ誰一人認めてくれなくても、私は私の詩を書く。
巧かろうが拙(まず)かろうが、そんなことは構わない。また、売れようが売れまいがそんなことは問わない。とにかく毎月二つ乃至(ないし)三つの短篇を書こう。こう私は決心した。
この花袋の覚悟と、その実践を私も自分に課したい。
実際のところ詩は一ヶ月に十篇程度書いている。それでもまだ足りない。もっと高みを目指したい。
どうにも長くなってしまった。最後にお茶の写真を貼っておく。
間食はあまり好まないのだけれど、死にたくてしょうがなかったので夕方に桃ゼリーをいただき、夜に主人と仮面ライダーオーズの続きを観ながらオランダケーキとダージリン2ndフラッシュをいただいた。
それから昼間のうちに注文していた本も届いたので載せておく。
葛原妙子関連の本は一箇所にまとめた。今から葛原妙子歌集の刊行も楽しみだ。