ANIRON

ひとりごと日記

2021.11.23 傷から目を逸らさないように

どうにも気分が高揚して落ち着かない。後々凄まじいうつに襲われるのではないかという疑念が頭から離れず、少し調子が良すぎる自分がそら恐ろしい。

伊藤計劃が『ハーモニー』を執筆しようとした動機の一つに、病気の闘病にあたって向精神薬を服用したことによって、メンタルの状況が好転したことがあったという。

自分の本当の意識というものが、病んでいる時にあるのか、それとも幾らか安定している時にあるのか、時々わからなくなる。

うつという病気と私は不可分だった気もするし、抑うつを糧にして詩を書き、希死念慮に見舞われてもなお詩を書きつづけた身としては、このまま病状が安定するのに懸念を抱いてしまう。とはいえ希死念慮はつらい。できればそう容易く味わいたいものではない。

しかしこうして現実から目を背けて、自分の内面を無視して過ごすことが私には恐ろしい。

いずれ手痛い代償を払うことになるのだろうという不穏な予感に支配されている。

そのチューニングをするために凛として時雨や、TK from 凛として時雨の曲を聴き、傷から、痛みから目を逸らすまいとする。

DIE meets HARD

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#5

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Signal

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will-ill

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私の行いはおおよそ無価値なのかもしれないし、この一年小説が書けずに足掻いてきたことも、全くの価値のないことなのかもしれない。

そんな私を支えつづけたのはフランクルの本であり、あるいは三木清の言葉だった。

3月にPTSDの再燃に見舞われ、それからたったひとりで明けない夜の底を歩きつづけ、詩を書きつづけたことはひとまず成果としたい。

つらい思いを十二分に味わってきたけれど、うつというものはそうして丹念に味わうものだと思う。

辛酸を舐めるという言葉があるように、うつも底の底まで味わわなければわからない。それで死んでしまっては元も子もないけれど、いくら上から引っ張り上げようとしてもどうしようもないし、沈んでいくのならばただでは沈みたくない。

這ってでも足掻いてでも詩を書きつづけたい。ただ今はそう強く思っている。

浮ついた気分はすぐに沈むことになるけれど、沈んでいる間歩いた海底の砂の重さは私を裏切らない。その砂の一握が私が私であることを証明するのなら、リスパダールによって幾らか楽になった私はさしずめ幻と云っていいのかもしれない。

楽になりたいと思ってきて、今ようやくリスパダールが効いて、幾らか気分が良くなってきたけれど、それでもこうしてブログを書きつづけてきたこと、弱っている誰かとシェイクハンドできるような文章を書きつづけてきたことを忘れないでいたい。