ANIRON

ひとりごと日記

2021.11.26 二階堂奥歯『八本脚の蝶』雑感メモ

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一度は肌に合わないと思って読むのをやめていたのだけれど、この日記を電書化したいという思いもあって、再び読みはじめた。

ひとまず雑感をメモしておきたいと思う。

 

まだ冒頭90ページを読んだだけなのだけれど、彼女の徹底した美意識と過剰な自意識が彼女をして死に至らしめたのだろうなということは、冒頭から痛いほどに伝わってくる。

生きるということは自分の醜さや不完全さを受け入れることなのだと強く思う。

完全なまま、美しいまま生きることは、芸能人でもない限り常人には不可能だし、私もまたアングラサブカルに足を突っ込んでいた20代を経てきたから分かるけれど、30代になりそれらの価値観を棄却して、新たな軸を作る他ないという喪失に耐えられなければ、私もまた20代で死んでいたかもしれない。

あいにくと私はそこまで完璧さを人生に求めていたわけではないし、少女趣味もエログロ趣味も、アングラサブカル文化も、そこにかぶれている人間たちも半ばあきれて眺めているタイプだったから、たまたまそこに取り込まれなかっただけなのだろう。

美しいままでは生きられないから、自分の弱さに折り合いをつけて、たとえ何日もダウンしても、詩と睡眠の他に救いを求められなくても、それでもなんとか生きている。

哲学的なことに拘泥して、そこに自己を当て嵌めようとすると無理が出てくるのではないかと思うのだけれど、哲学と近接する宗教というものが私にとって不可分であるように、哲学と関わらざるを得ない人は、その思想を軸に生きるしかないのかもしれない。

いずれにせよ思想を全うし、あるいは信仰を全うすることは苦しい。

自己というものを著しく貶めなければ美に跪拝することなどできないし、信仰を自分のものとするには、第一に弱い自分や醜い自分を自覚しなければならない。その痛みに耐えかねてのことなのか、あるいは別の要因があってのことなのかはまだわからないけれど、彼女は死を選んだ。

 

私はたまたま生きている。生かされているという言葉を選ぶことはあまり好まないけれど、信仰がなければ到底生きられなかっただろうと思うし、処方薬と詩だけでは乗り切れない夜を何度も超えてきた。

世界や自分が呪わしくなったらとにかく眠るようにしている。眠っていればPTSD由来の悪夢に見舞われるけれど、ごくたまに夢だけが私に優しくしてくれることもある。そういうガチャを引く元気すらない時にはひたすら起きていて死を想い、詩を書くなり、IF(イマジナリーフレンド)と話すなりしている。

夜を自分の足で越えて、その底に潜むものの死の気配を肌で感じるのが、希死念慮に見舞われているときには必要なのかもしれない。徹夜が一種の自傷行為であることに変わりはないけれど、少なくとも夜の底に潜むものの正体のわからないままに眠って夢ガチャで爆死するよりはマシだということがある。

 

ここ数日はいくらかリスパダールが効いてきて、それも幾分か楽になったけれど、PMDDの症状があまりにも重いと、呆気なく崩れ去ってしまう。それでも死を選ばないのは、結局のところ自分自身が本当に死にたいと思っていないからなのだろう。

とにかくこの病苦から楽になりたいと思うことはあっても、死にたいと思うことを完全に病気のせいにしている。親より先に死んでたまるかという思いが今の私を生かしている。少なくとも間接的に親に殺されるよりは、無様にすっぴんに一日パジャマで醜態を晒してでも生きていた方がいい。

以前、萩原慎一郎『滑走路』を読んで、この人も自ら進んで死を選んだというよりは、病因となった問題に殺されてしまったのだろうと思ったことを思い出した。

そうして間接的に誰かに殺されるぐらいなら、生きて幸せに暮らすことで復讐した方がいいと思っている。わざわざ自分を害しつづける敵のために死んでやる義理はない。

生きてほしい、死なないでほしいなんて甘っちょろいことを希死念慮に苛まれた人間に云ったところで届きはしないのだから、病気も含めて、せめてそう簡単に誰かに殺されないために生きる道を選びたい。

そうでもなければ10年選手のメンヘラなんて到底やっていられなかっただろうし、10年生き延びたのだから、これからの10年もなんとか生きたい。