ANIRON

ひとりごと日記

2021.11.30 命そのものに価値を置く

先日、仮面ライダーオーズを観終えた。

一日二話ペースで観ていたので、あっという間の完走だったけれど、アンクのことがずっと頭から離れない。もちろん推しの三浦涼介演じるアンクというキャラクターが十二分過ぎるほどに魅力的なのはわかる。

しかしそれは置いておいて、観終えてから彼が「命を得ることそのものを欲していた」ということの重みがじわじわと効いてきた。

最終話である48話が迫る47話で、アンクはこれまで映司と比奈と過ごした時間を振り返って満足する。命そのものが、彼らとともに生きてきた時間のことを示すのだと、グリードとしてようやく気づくに至ったのだ。

 

このメッセージはあまりにも重い。私が小説を書くことに挫折して、這いつくばって詩を書いて、それもまるで無価値に感じることが増えてきたのとは大違いで、彼は生きることそのものに価値を見出す。

人間には様々な欲があり、その欲が人間をして発展せしめてきたというのがオーズの主題でもあるけれど、その欲はあまりに深く、そして醜い。醜いけれど、それでも抱かずにはいられない。

25・26話のボクサーのエピソードはそれだけ身に染みて感じられたストーリーだった。

一度は病気でリングを降りたボクサーが、再びリングに立ちたいという思いだけを胸に、ヤミーと化してライバルと再戦する話だ。

しかしその欲望は身を滅ぼすことにつながってゆく。私自身もまた、小説を書こうと足掻けば足掻くほど体調を著しく崩してしまい、なかなか書くに書けずにいて、焦りばかりが募る。こんなはずではなかった、という未練ばかりが膨らんで、私はすでにヤミーと化しているのかもしれない。

 

しかしそうしたひとりよがりな欲望で身を滅ぼすよりも、純粋で原始的な「生きる」という欲望を全うすることを第一に考えた方がいいのではないか。

私は日々の生活をおざなりにしてきたつもりはなかったけれど、創作の前では全くの無価値と決めつけていたのではなかったか。

ここで思い出されるのが遠藤周作『影に対して』で、私はこの作品の「母」のように、「アスハルト」の道を選ばず、「砂浜」の道を選ぼうとしてきた。

遠藤周作の云うところの「生活」よりも「人生」を選ぼうと足掻いてきた。

それでも今一度「生活」に目を向け直してもいいのではないかと思い至ったのだった。

 

今日家でランチをしていて、リモートワークで昼休み中の主人と他愛のない話をしながら、主人の作ってくれたホットサンドをいただいた。

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何気ないやりとりを交わしていて、それでもこんな日常がいつまでもつづけばいいなと思ったのだった。

決して豊かな暮らしではないし、私も持病が篤く、やっとのことで日々をやり過ごしているけれど、それでもこうして光に満ちた瞬間というものが時々訪れてくれる。

そのことにもっと感謝すべきなのではないか、もっと大事にすべきなのではないかということを、オーズは教えてくれた気がした。