それからルピシアのキームン・クイーンズホープを淹れて、主人といただいた。
キームンを飲むのはこれが初めてだったので、最初は癖がありそうだなと遠ざけていたのだけれど、ルピシアの福袋の中でこれだけが余ってしまったため、主人に話したところ「飲んでみよう」と云うので淹れた。
ちなみにルピシアの福袋は今年も予約した。
いざ飲んでみると、これほど美味しいミルクティーを飲んだのは初めてかもしれないと感じた。スモーキーな香りと、深い味わいにたちまち魅了され、もしも次の福袋に入っていなくてもきっとリピートするだろう。
そうして主人と話しているうちに短歌の話になり、「まさやまさんと歌会ができて良かったね」と云われた。
前述のように、私はどこかに所属することが本当に苦手で、人付き合いもまともにできない。
そのことを深く恥じていたところだったので、昨日の歌会が充実した内容になったことは本当に喜ばしいことだし、まさやまさんには感謝してもしきれないと思う。
そうして話しているうちに、私が彼女に勧めた新古今和歌集の話になり、「短歌の読書会をしても楽しいのではないか」と主人が提案してくれた。
さすがにこれまでに数多くの読書会を手がけてきた人だけあるなと思う。主人は毎週漢文を話本などを使って読む読書会を仲間内で催していて、もう三、四年ほど経つのだ。
私自身も友人と読書会をしたことはあったけれど、コロナ禍もあって、なかなか継続して行うことが難しくなっていた。
まさやまさんに話を持ちかけてもいいのかもしれないと思いつつ、主人に笹井宏之賞に落選した話をすると、「添削をしてもらうといいかもしれないね」と云われた。
ちょうどかねてから気になっていた講座があったのだが、小説講座から脱落したこともあり、また新たな講座に足を踏み出す勇気がなかった。
しかし短歌ならもっと虚心になって指導を仰げるかもしれないし、実際に気になっていたこともあって、その先生の歌集は買ってある。
読まねばと思いながらも、講座を受講できるかどうかわからないという不安から、なかなか読めずにいたのだけれど、近いうちに崩せればと思う。
さらに「短歌の講座もあるんだけど、俳句の講座もあるみたいなんだよね。私も読んだことがある俳人の先生が担当してて」と云うと、「俳句はもう詠まないの?」と訊かれた。
俳句は五年ほど詠んでいて、短歌を詠みはじめてからはすっかり遠ざかっていたのだけれど、季語の味わいの豊かさを思うにつけて恋しくなったり、出かける方々で花を見かけては俳句のことを想っていたのだった。
俳句を詠んでもいいのかもしれないと思うと、それまで塞がっていた気分もいくらか明るくなってきた。
拙いながらも、私は自分自身の作風が好きだと思って詠んでいたので、きっと俳句を詠むという体験が楽しいものとして印象づけられているのだと思う。
思い返せばどちらかというと短歌よりも俳句の十七字というミニマムな世界が好きだったし、その想いは未だに頭の片隅にある。
短歌を詠みながらも、俳句を作る喜びも大切にしたいと思った一夜だった。