ANIRON

ひとりごと日記

2021.12.14 物語とナラトロジーと

低調な日がつづく。

音楽の話を書いたら思いのほか長くなってしまったので、今日の日記は続きとしてこちらに書く。

昼ごろ起きて、調子が上がらないまま記事を二本書いた。

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evie-11.hatenablog.com

snowrabbit21.hatenablog.jp

その後も調子が上がらず、詩を書いて、しばらくぐったりとしていた。

音楽をさまざまに聴いていた記憶はあるのだけれど、その間ぼーっとしていたので、何を考えて何を思っていたのか今ひとつ思い出せない。

心身ともに冬季うつの病状が悪化の一途を辿って停滞している。

食欲がないので、やむなく実家から押しつけられたカロリーメイトゼリーなどを飲んだけれど、甘いものは好まないので参っている精神はますます弱ってしまった。

かといって動く気力もないし、何かスープでも作れれば良かったのだけれど、この状態で火を扱うのは少し怖いという有様だった。

電気けいれん療法よろしく、さまざまな刺激を与えなければ精神が滞ってしまうと思ったのだけれど、刺激を与えれば疲弊し、詩を書けば自己嫌悪の念に駆られ、いよいよもって救いようがない。

そうして家事もまともにできないまま夜になり、主人の作ってくれた夕食をいただいた。

ホットサンドメーカーで作った、鶏のハーブソルト焼きを作ってくれて、これが大変美味だった。

そうして幾らか持ち直したところで、仮面ライダーW19・20話を観た。

Wのお耽美担当・霧彦さんがえろすだだ漏れな最期を遂げてから、どうにもロスが拭えないのだが、キレ芸冴え渡る照井さんというキャラが登場して、また一波乱ありそうだ。

Wを観ているとジャズを聴きたくなるので、この日記はマッコイ・タイナーを久しぶりに聴きながら書いている。

music.apple.com

 

それからルピシアのザ・オレとマドレーヌをいただいて、主人と動画を観たりして過ごした。

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主人はよほどシンエヴァンゲリオンが気に入らなかったようで、あれほど関心を持っていた新ウルトラマンにも興味を示さなくなってしまった。

私としては少々興味はあるのだけれど、シンエヴァが物語の構造の体をなしていないことに異論を挟むつもりはない。

特報で観たシンウルトラマンも、エヴァの擬態のようだったし、結局のところ庵野監督はエヴァで破綻した物語を回収するために、あるいはその傷を癒すために特撮を撮って、自らの傷を慰撫しようとしているのだろうと思えてしまう。

そうして考えてみると、私も結局のところナラトロジーに染まった人間でしかないのであって、脱構造的な物語に回収され得ない人間なのだなと思う。

昔はもう少し柔軟性を持って物語に触れていたけれど、主人と暮らすようになってから、ナラトロジーという尺度を持って物語に接するようになってしまった。

小説を書こうという人間はそれでいいのだろうけれど、最近読んでいる吉田隼人『死にたいのに死ねないので本を読む』を読んでいると、ナラトロジーの外側にある物語を強く意識せざるを得ない。

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脱構造的な物語性を志向する著者の本の読み方は、私には著しく歪なものとして映る。

文脈を解体するという試みを前提として書かれた文章の数々は、散文というよりも、詩的エッセイという感が強い。そうした形で物語を受容してきたからこそ、この著者は短歌に惹かれたのだろうし、おそらくその短歌も物語の枠組みからは大きく外れたものなのだろうと思う。

ここで人間は自らの嗜好や思考パターンから外れたところで物語を受容することはできないのだろうかという疑問が湧いてくる。

ナラトロジーは物語を工学的に捉えるものとして、それらの偏りを是正して、すべての物語を構造的に分析するものではあるし、定まった評価もなされている。

その枠組みの中で物語を受容することは創作にも自ずと反映されていくのだろうし、私はまだその途上にある。

私が大学で専攻してきた記紀神話はまさにこのナラトロジーの原点でもあり、そこから完全に外れて、ドラマにせよアニメにせよ、そして小説にせよ、あらゆる物語を受け入れることはできないのかもしれない。

そうしてふたたび物語を紡ぐ時が来るまでは、ひたすらに本を読み、その構造をできるだけ明白な形で分析して、その日までに備えておきたい。