ANIRON

ひとりごと日記

2021.12.14-15 信仰とアイデンティティと

不全感が募り、希死念慮がだんだん色濃くなってきて、ぼーっとしていると主人が部屋から出てきて、ユヴァル・ノア・ハラリの『21 Lessons』の話をはじめたので、飲むことになった。

コンビニまでの道すがら、ひたすら宗教について語り合った。

ハラリ氏の議論については私は読んでいる人間ではないので言及は避けておくけれど、宗教というものの機能が未だ失われてはいないことは明白だという話になった。

そこで宗教とアイデンティティの話になり、私はつまるところどんなに思想的に相容れないものを抱いていようとも、アニミズムから切り離された文脈で生きていくことはできないのだと思い知らされた。

主人は改宗をするにも物語が必要で、それは本を読んで改宗の決意をするなどでは、まだ物語として十分でないと語っていた。

私の通っていたミッションスクールの創設者は数学者のシスターで、フィボナッチ数列に神の奇跡を見出して改宗を決意するに至ったと云われていた。

彼女には彼女の人生を変えてしまうだけの物語がそこにあったのだろうと思う。聞き知った当時の私には理解できなかったけれども。

私にとっての物語は、やはりふるさとを抜きにしては語れない。

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ふるさとが滅びかけようとしている今でさえ、私を培ってきたあの土地に生きていた信仰は、私の礎を作っている。それは土着的なアイデンティティであり、後から身につけた思想によるものではない。

ふるさとで墓参りに行った際、母の親戚のお医者さんのお墓にも参ったのだけれど、そのお墓の傍には土神の碑石があった。

かつてはふるさとにはさまざまな水神や土神、田の神を祀る碑石が随所にあり、そのいずれもに花や神酒が供えられていた。おそらくその世話をしていたのがこのお医者さんだったのだろう。

今では獣害と過疎化、高齢化によって、それらの碑石は草木に埋もれている。

それでもなおあの土地にはまだ信仰が生きているのだと、お医者さんの墓参りをして強く感じた。

これが私にとっての物語であって、その信仰はいかにプリミティブなものであって、現代の悩める私という個人を何ら救済し得ないのだとしても、それでもふるさとを想いつづける私の拠り所となっている。

ふるさとで祖母に育てられたという背景もあり、その後私は毒親である母の手に渡ったけれど、私の育ての親は祖母だと未だに思っている。

そうしたアイデンティティから、あるいは物語から、人間は切り離されたところでは生きていけないのだろう。

だから私がどんなにカトリックに憧れたとしても、結局は神道に戻ってきてしまう。

どんなに思想が揺らいだとしても、アイデンティティを揺るがすことは、おそらく私自身にも、そしていかなる外的な要素を以ってしても不可能なのだ。

ふるさとから逃れられない定めを負って生きているという点で、私はやはりひぐらしのなく頃に竜宮レナに惹かれずにはいられず、昨年は旧作の漫画版を読破した。

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フィギュアも買って、タペストリーも飾っている。
土着的なアニミズムの信奉者というアイコニックな存在としての竜宮レナが好きだ。

主人からは「病んでてかわいいものが好きなところも似てるよね」と云われたけれど、私自身も多分にそのような人間性を有しているのかもしれない。