ANIRON

ひとりごと日記

2021.12.16 詩作と大手拓次初版本

ふたたび読書・マンガトピックと、創作トピックに入っていました。

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ご覧くださった皆様、評価してくださった皆様、ありがとうございました。

今後とも当ブログをよろしくお願いいたします。

 

著しく消耗した一日だった。うつが加速度的に悪化している。

小説講座から二ヶ月連絡が来ないので、確認のメールを送ったのに、それも一ヶ月経っても連絡がないことにやり場のない怒りを覚えてしまい、そこに小説講座に加入してからというものの、諸事情あって小説が書けなくなってしまったことなども加わって、いよいよ収集がつかなくなった。

小説講座に入らなければ今頃も小説を書いていたのだろうと思うと、取り返しのつかない後悔ばかりが頭をもたげて頭から離れてはくれない。

小説講座に入る直前に、カクヨムのWEB小説短編賞で最終候補に残っていたこともあり、まるで小説の才能がなかったのだからしょうがないとはどうしても思えずにいた。

講師によって才能を握りつぶされてしまったとすら思ったし、理不尽さすら感じて怒りは増幅する一方だった。

しかしその反目がなければ私はここまで必死に詩を書いて投稿することもなかっただろうと思う。

どうしても自分の手で、自分の力で、なんとか高みへと辿り着きたい。

その想いがあってはじめて私は小説を書いてきたのだし、あるいは詩も自分自身を信じて作り続けてきたのではなかったのか。

希死念慮が強く頭をもたげてくるたびに、積み上げてきたものを打ち砕かれそうになりながら、それでも今日は詩を二篇書いた。

死にたい気持ちが高まっている時の方が、幾らかいい詩が書けるというのも皮肉なもので、この状態を延々と繰り返すのだろうから、詩作からはどうしても離れられそうにない。

少なくともこのうつの波が打ち寄せてくる間は私は詩を書きつづけるのだろう。

なんとも因果なものだと思う。実母からは「あなたの詩は好きじゃない」と云われ、身近な誰かに評価されることもなくただひたすら日々詩を書き、その大半は今や自分しか目に触れることもない。

そうして詩を書きつづけることに意味があるのかどうかもよくわからないけれど、とにかく書くより他にできることが何もないから詩を書いている。

Wikiによると、大手拓次もまた病を抱え、生前詩壇に評価されることなく、ただひたすらに詩を書きつづけてきたのだという。

ja.wikipedia.org

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私自身は彼の詩業を鑑みれば比べることも烏滸がましいけれど、それでも心のどこかで共鳴し合うものを感じずにはいられない。

そうした思いもあって注文した、大手拓次『詩日記』の初版本が届いた。

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近代文学の初版本を手に入れるのはこれが二冊目となるし、本来保存版としておくべきなのかもしれないけれど、あいにくと私は後生大事に飾っておくつもりはないので、読むつもりでいる。

出会ったきっかけは現代詩文庫の『大手拓次詩集』だったので、こちらも古書を購入して届いた。

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そうして詩を書くこと、詩を読むことが今の私をかろうじて支えている。

以前書いたように、主人に「宗旨替えをするなら物語が必要だ。たとえば自殺しようと思って未遂をした時に十字架を拾ったというふうに」と云っていたけれど、私にとってその物語はもはや詩を書くという行為そのものに付随していると云っていいのかもしれない。

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詩を書く必然性について日々頭を悩ませ、自分自身にとって小説を書くことからの逃避に過ぎないのではないかと思い悩む日がつづいていたけれど、私にとって詩を書くことは、もはや他に代替しようのない行いになりつつある。

この間短歌を詠もうとしてうまくいかず、小説は書けず、ずいぶんと苦しい思いをしてきたけれど、数ある文芸ジャンルの中で詩だけが絶えず私の友でいてくれたことは書いておきたい。

そうした苦しみの中から選び取ったものを、私はもっと信じるべきだったのだ。

まるで生きる価値のないように思える人生の中で、一つだけ意味を持ちうるものがあるとするならば、それは詩を置いて他にはないのだろう。

今はそう信じていたい。