ANIRON

ひとりごと日記

2021.12.18 サピオセクシャルと「書く」というフェティシズム

やや気分が浮き足立ってしまった一日だった。

主人が学生時代の恩師の主宰する集いに出かけるというので見送って、しばらく記事を書いたり、ブクログをいじったりしているうちに、今年は詩歌を30冊読んだということがわかった。

書名をリストアップして、中でも気に入った10冊の詩歌集については、感想の引用をまとめて貼りつけたところ3500字程度になった。

これをきちんと整理して、再読するなどしてまとめれば、一冊の電子書籍になるのではないかと思い至ったところから、気分が高揚してしまった。

気に入った本が10冊なので、1冊2000字ほど費やせば2万字になるし、前著『図書館という希望』が思いのほか反応が良かったので、できれば形にしたいと思う。

ブログ「広寒宮」で綴ってきた図書館にまつわるエッセイに書き下ろしを加えた、図書館エッセイ集です。

「もうひとつの家」としての図書館との付き合い方や、蔵書にまつわること、一利用者から見たコロナ禍の図書館の記録、幼少期に通った図書館との思い出など、今だから読みたい内容をぎゅっとまとめました。

本書が図書館を愛するすべての人の友となりうることを心から願っています。

 

-収録作品-

図書館という希望

ふたつの棚

図書館という友人

ふたたび図書館へ一

図書館の使い方を模索する

コロナ禍の図書館について

蔵書の整理

ふたたび図書館へ二

先達の目とBANANA FISHにみる図書館の精神

図書館という知の海に漕ぎ出す

図書館で知を拓く

学校の図書室の思い出

非常事態宣言下の図書館

本書に登場した書物

計画倒れに終わってしまわないように、さっそく原稿に取り掛かりたいところだ。

私は一日にブログ記事を2000字以上は書くので、念頭にある読書計画を後ろ倒しにすれば実現するかもしれない。

ビジョンがまだ明確ではない書評エッセイ集よりも、よりビジョンが具体的ではあるし、詩歌を受容するとともに、自分自身が詩を書くことについても、自分なりに言葉を費やすことができればと思っている。

書評エッセイ集はあくまでも読むという範囲にとどまっているものが多く、それは合理性を持っているのだろうけれど、私はいかに読むかということはいかに書くかということに直結していると感じずにはいられないし、それを具体的な形に落とし込みたい。

あくまでも受容をベースとして、それでも自己との対話の記録として、書くことについても綴りたい。

 

そうした想いがヒートアップして、双極性障害を疑うに至り、双極性障害の本を読んで主人に話したところ、「該当しないと思うよ」と云われた。

主人から見て明らかに様子がおかしいということはないらしく、主治医からも主人に真っ先に影響が現れるはずだから、主人がその点に関して影響を受けていないことを鑑みると、双極性障害の可能性は薄いと云っていた。

念のため双極性障害の本は再読し終えたが、ひとまず今はうつ病と認識しておきたい。

それから夕食をとって仮面ライダーW27・28話を観た。照井回で、推しのフィリップが思いのほか活躍してくれたのはうれしかった。

私としてはフィリップが板書をする場面に惹かれずにはいられないのだけれど、序盤はそうしたシーンが多く、中盤になって減ってきたのが少し寂しい。

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本筋とは関わりのない描写ではあるのだけれど、思い返してみれば伊藤計劃原作のアニメ映画「屍者の帝国」で、フライデーがひたすらメモを取っている様子も好きだったなと思う。

私がアナログノートを書きはじめたのは、このフライデーの影響によるところが大きくて、知性に魅力を感じるサピオセクシャルな自分自身にとって、異性がノートや紙、あるいはホワイトボードに文字を書いている様子はとても魅力的に映るのだろうと思う。

不思議なことにキーボードを打っているのではダメで、翔太郎がタイプライターを打っている様にはそこまで惹かれない。

私自身も一日中キーボードを打っているけれど、そこには何の感情も伴わず、ブラインドタッチをしてるので手元を見ることもほとんどない。

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学生時代は教師や教授が板書しているのがごく当たり前の風景だったから、それを魅力的だとも思っていなかったのだと思うのだけれど、高校までの教師はともかく、私は大学教授という肩書きと結婚したいと思っていた時期が長かったから、自ずとそうした性向が影響していたのかもしれない。

大学から出て専業主婦をしていると、まずそうした場面にはお目にかかれないので、妙な寂しさがある。

ドラマやアニメ、映画の登場人物がひたすらメモを書き続けるだけのGIF画像を貼り付けたTumblrなどがあれば見てみたいけれど、そうした酔狂な性癖を持つ人間は私のような限られた人間だけなのかもしれない。

メモになった後の文字を見るのではどうにも物足りなくて、そこに書いている人が付随していないと魅力を感じない。

読書もまた読書人が本を読んでいるさまが美しいという現象はあるし、それを絵画に描いてきた西洋美術の歴史もあるけれど、文字を書くという行為に対して魅力を感じるのは、どうにも尋常でない趣味の偏りを感じるし、動画というものが生まれてから生じた産物なのだろう。

少なくとも静止画でメモを取っている人の画像には何ら魅力を覚えない。

おそらくそこに知的なひらめきが宿り、「今ここ」という時間の中で生産されている知性というライブ感や確証が必要なのだろうと思う。もっともアニメにせよドラマにせよ、演じている人間あるいはキャラクターには演技という前提が生じてしまうのだけれど。

奇妙な話を長々と続けてしまって、まるで着地点を見出せないのだが、サピオセクシャルというものの一つの側面を描写してみたかったのだ。

手書きのメモを取るという行為のフェティシズムに関しては、先行するサイトがあるのかもしれないけれど、ひとまず私の所感としてはこのようなところだ。