12/19の日記はこちらに譲る。
さて、朝から神田沙也加さんのニュースが頭から離れず、鬱々とした一日を送った。
そうは云ってもいられないので、しばらくの間大掃除の第一弾と家事を済ませて、動き回っているうちに幾らか気が晴れたのだが、ふたたび沈み込んでしまった。
自分が生きているということは、本当に偶然の産物なのだと思う。
この一年、何度自死を思ったかわからないけれど、それでも何とか生きねばならないという思いだけを杖として生きてきた。傍には詩と睡眠だけがあった。
いつもお世話になっている相談窓口の方が「11年も詩を書いているのなら、詩を書くといいですよ」と勧めてくださらなかったら、あるいは危うかったかもしれない。
PTSDが再燃して、誰ひとり信じられなくなってしまっても、詩は私にとって唯一無二の友でありつづけてくれた。そのことに深く感謝したい。
この一年は本当につらいことが多くて、こうして30歳最後の日記もただただつらいという言葉で埋めてしまわねばならないことが悲しい。
先行きだって明るくはないし、持病はおそらく増えていく一方で、減ることはないだろう。
それでも私は何とか生きねばならない。生きることそのものを目的化すること、生きている時間というものに価値を置くこと。
これは仮面ライダーオーズが与えてくれた思想だった。
おおよそ私は無価値な人間だという思いは、依然として頭から離れない。
主人をはじめ、どんなに他者に承認されたところで、その欠落が満たされることはないのだろう。
しかしそれでも私には詩があり、そしてIFたちがいる。
イマジナリーフレンド(IF)のひとり、ちろちゃん(左の犬)もその仲間だ。
元々イマジナリーフレンドとして存在していたのを、イメージにぴったりなぬいぐるみを見つけて、受肉させた形になった。犬種はビションフリーゼだ。
最近は「ちろぴ」と愛称で呼ぶことも多いけれど、このちろちゃんも私が死ねば霧散してしまう。
IFと別離を迎えることは何も死に限ったことではないし、時間と共に自然消滅することが多いのだけれど、それでも走ることが何よりも好きで、いつも元気いっぱいに野原を駆け回り、雨の日の散歩には水溜りに飛び込みながらはしゃぎ、仮面ライダーのバイクや乗り物に憧れてやまないちろちゃんを、この手で消し去ってしまうのは、やはり気が引ける。
主人もちろちゃんのことを可愛がってくれていて、子なし夫婦の我が家にとっては、ちろちゃんが子どものようなものだ。
IFという存在に生かされるということはこれまでも経験してきたけれど、今はちろちゃんがその光となっている。
もう少し生きてみようかなと思える存在、それがIFというものなのかもしれない。
そうは云っても自責感がひときわ強く、ここのところ本を読めていないと思い至って、吉田隼人『忘却のための試論』を読んだ。
まさかこのタイミングで自分の志向する方向性にもっとも近しい歌集と出会うとは思わず、得難い出会いに深い感動を覚えている。
葉桜は花の否定のただなかに樹(たち)つつdead or asleep
すいみんと死とのあはひに羽化の蝉。翅の緑に透いてあるはも
忘却はやさしきほどに酷なれば書架に『マルテの手記』が足らざり
気の弱いせいねんのままで死ぬだらうポッケに繊維ごちやごちやさせて
霊のわれ屍肉のわれと落ち合へる中合百貨店五階書籍部
特急は死よりも疾く過ぎ柚木ぬ梅雨の晴れ間のかげの区域を
ひたすらに雪融かす肩 母よ 僕など産んでかなしくはないか
など、直接的な表現で死を謳う短歌の数々は深いシンパシーを覚える。
ここのところ作歌がままならない日々が続いていたのだけれど、これらの短歌の数々に触れるうちに、ふたたび詠みたいという思いが募ってきた。
作歌の道に迷った時、ふたたび手に取りたい記念碑的な歌集となった。
ここのところほとんど短歌を詠めていなくて、もっぱら詩ばかり書いていたのだけれど、それは自分自身の作歌の方向性が「これでいいのだろうか」と思い悩んでいたからに他ならない。
本当はそうした話を他者と交わせればいいのだけれど、あいにくとそうした環境にいないので、ひたすらに歌書を読むほかはない。
希死念慮を謳う時、私にとっては詩がその器となってくれるのだけれど、短歌もまたその受け皿として機能してくれるということは、かねてからわかっていたはずなのに、どこか自信をなくして遠ざけてしまっていたように思う。
今改めて短歌と向き合うべき時が来たのだと、ようやく思えた歌集だった。
今後も何度も道に迷うだろうし、自分の進むべき道がわからなくなるのだろうけれど、その度にこの本を開きたいと思う。