ANIRON

ひとりごと日記

2021.12.22 生かされていることに気づく

まるで生きている価値がないという思いが頭から離れず、時々チェックしているとある歌人の日記を読んだら、自殺未遂をしたということで、ますます落ち込んでしまった。

帰ってきた主人を前に、できるだけ明るく振る舞おうとするのだけれど、うまくいかない。

「今日は雑炊しか食べられなかった」と云うと、「何か美味しい冷食を買っておこうか」と云われて、そんな風に優しくされる資格なんて私にはないのだと思うと、涙が溢れて止まらなくなってしまった。

非常に苦しい、うつの暴風雨のさなかにいるような一年を送ってきて、今なおその真っ只中にいる。

それでもやはりどうしても生きねばなるまいと思う。

たとえ才能がなくても、世に出るほどの力がなくても、小説が書けなくても、それでも私はこの一年必死に這いずり回って詩を書き、短歌を詠み、詩歌を唯一の友として生きてきた。

その時間は誰とも比べることなどできないし、誰にも奪うことはできない。

たとえ誰からも祝福されなかったとしても、誰にも認めてもらえなかったとしても、それでも私は詩を書きつづけるだろう。詩が友でありつづける限り。

この一年厭というほど辛酸を舐めたけれど、その時間が全く無駄と云うわけではなかったと少なくとも今は思っている。

そのための努力はしたし、成果もあるレベルまでは残した。

図書館エッセイ集『図書館という希望』を一冊上梓したのも今年だし、ココア共和国に詩を投稿して五作中四作品は佳作として採っていただいた。

うち一作は今月末に発売される『ココア共和国』2022年1月号の電子版に収録される。

 

それは自らで選び取り、自らの力で辿り着いた場所だ。

作家という夢を諦めることは大きな痛みを伴ったけれども、それでも他の誰でもない、自分の足で今ここに立っていることを噛み締めたい。

 

そうして主人が作ってくれたお鍋をいただいて、仮面ライダーW33・34話を観た。

ハードボイルド然とした、ビターな内容のエピソードで、霧彦を推していた身には切なくも救いの光が垣間見えたような回だった。

観終えてルピシアのピーチメルバを淹れてお茶をしながら、主人と話した。

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こうしてささやかながらも心満たされる時間があるから、私は生きていられるのだろうと思うし、宗教書の説くように、私はもはや自らの意思で生きているというよりは、生かされているのだということを強く実感する。

生かされているのだと謙虚な気持ちになった時、ようやく人は生きていくことができるのだと、以前から愛読している戸澤宗允『すべてを喜びとする』には書かれていた。

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母もそうだし、私もそうだし、人は自分ではなかなか死ねないものです。悲しみのどん底で、どんなに「死にたい」と願っても、呼吸をし、脈を打ち、細胞は生まれ変わりを繰り返しています。自分の意思に反して命が続いていくさまを目の当たりにすると、自分は「生きている」のではなく、「生かされている」のだと思い知らされます。

もしかすると「生かされている」と気づいている人は、誰よりも辛い経験をしている人なのかもしれません。

しかし、その辛い経験を経て得た「気づき」は、人生を導く灯となります。

「生かされている命なんだから、大切にしよう」という気持ちが自然とわいてきて、一瞬一瞬がキラキラとした光が降り注いでくるかのような、命の輝きを感じることができるのです。それは、とても幸せなことではないでしょうか。

──戸澤宗允『すべてを喜びとする』幻冬舎、2016年、pp47-48

後半部のような境地にはまだとても到達できないけれど、それでも今ようやく私は生かされているのだと気づくことができたのだと思いたい。

また以前読んだ100分de名著『フランクル 夜と霧』の中で、次のように書かれていたのをここのところ思い起こすことが多くなってきた。

ここで必要なのは生命の意味についての問いの観点変更なのである。すなわち人生から何をわれわれはまだ期待できるかが問題なのではなくて、むしろ人生が何をわれわれから期待しているかが問題なのである。そのことをわれわれは学ばねばならず、また絶望している人間に教えなければならないのである。哲学的に誇張して言えば、ここではコペルニクス的転回が問題なのであると云えよう。すなわちわれわれが人生の意味を問うのではなくて、われわれ自身が問われた者として体験されるのである。

──フランクル『夜と霧』霜山徳爾訳、みすず書房、183頁。

──諸富祥彦『NHK 100分de名著ブックス フランクル 夜と霧』NHK出版、2013年、pp56-57

孫引きになってしまったが、私にとって私の人生が期待しているものは、ただ唯一の友でありつづけている詩に応えること、そして少なくとも私のことを認めてくれている主人のために今日という日を、そして明日という一日を生き延びることを置いて他にはない。

この一年、何度道に惑い、自信を失って挫折を経てきたかわからない。

戻ることの叶わない場所がいくつも増えてゆくばかりで、新たな居場所が見当たらないまま、つらい時間を過ごしてきた。

それでも今は手を差し伸べつづけてくれる主人を新たな家族、新たな拠りどころとして、大事にしていきたい。