ANIRON

ひとりごと日記

2021.12.22-23 「愛している」から「生き残りたい」

またまた読書トピックにお邪魔していました。

aniron.hatenablog.com

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お読みくださった皆様、評価してくださった皆様、ありがとうございました。

今後とも当ブログをよろしくお願いいたします。

 

とにかく死にたいという思いが頭から離れず、4時まで眠れなかった。

実家とも義実家とも疎遠になってしまったこと、実家に関しては精神疾患の可能性ありと診断されている母との関係上、そうせざるを得なかったこと、大金を誤送金してしまったことなどが重なった。

そこに外的な要素として神田沙也加さんの訃報や心療内科への放火のニュースが合わさって、消耗しきっている。

いくら頭で生き延びねばと考えても、死の一字だけがどんどん大きくなる。

たまりかねて「私は生き残りたいんだ」と思って、久しぶりにマクロスFの「ライオン」を聴いたら心が震えた。

ライオン

ライオン

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特にランカちゃんが次のように歌う箇所で泣き咽びたくなった。

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君を愛している、という言葉にどれほどの重みがあるのか、私はこれまでわからなかった。

ラブソングはあまり好んで聴くタイプではないし、男女問わずアイドルが愛を歌っても、結局作詞家が書いた歌詞なのだと冷めた目で聴いていた。

だが死を間近にして、これほど直球で胸に迫ってきた言葉は他にない。

「誰かに愛されている」から生き残りたいのではない。「君を愛している」から「生き残りたい」のだ。

他の誰でもなく「君」ただひとりを「愛している」のだ。

ごくありふれたフレーズなのに、私は我が身を振り返ってみて、こんな風に人を愛したことがあっただろうかと思った。

 

それから死にたい気持ちが募るあまりに検索をしていると、次のような記事に行き当たった。

bunshun.jp

 死にたいという思いが強くなった時、それにブレーキをかけて、思いとどまらせる作用を持つのは「基本的信頼感」だ。

 

 名古屋市西区にある名駅さこうメンタルクリニック院長で精神科医心療内科医の丹羽亮平医師が解説する。

 

「基本的信頼感とは、子どもの頃に両親から受ける無条件の愛によって獲得する感覚のこと。『あなたがたとえどんな子であっても、ここにいるだけで価値がある。生まれて来てくれただけで私は嬉しい』という愛情を受けることで、『自分は存在していい』『自分は誰かに必要とされている』『自分は誰かから愛されている』という感覚が醸成されます。小さい頃に基本的信頼感をしっかり獲得している子は、成長して心が傷つく経験をしても、一時的に落ち込むことはあっても、『自分を大切にしてくれる人がいるから大丈夫だ』と考え、回復させる力が働くので何事にも前向きになる傾向が強いのです」

 

「基本的信頼感が薄いと、『死にたい』という思いに襲われた時に“生”とつなぎとめている糸が切れやすくなるのです」

 

 しかし、成長して作られる新たな家族や友人などに基本的信頼感を宿すことは可能だし、多くはそうなっていくという。

しかし、愛されているという信頼感は脆いものだと私自身は実感していて、私は実家で基本的信頼感を得られなかった人間なので、誰かに愛情を向けてもらえたとしても、どう享受していいのかわからない。

ましてやうつが極度に悪化していて死にたいときに「私は愛されているのだから死ぬまい」とは到底思えない。

それができればどれほどの人が自死を思いとどまることができるだろう。

愛されているという実感ほど脆いものはないのだ。

いつ裏切られるか分からない、いつ何時傷つけられるか分からない環境下で生きてきた人間にとっては、基本的信頼感というものはまるでないし、それを新たに構築することも難しい。

少なくとも私は愛されているというたしかな感触をうまく味わうことができない。

 

しかしそんな私も「愛する」ことはできる。

そして真に愛していると呼べる人は、主人を除いて他には誰もいないのだと、このライオンの歌詞で思い至った。

愛というものは単なる恋愛という文脈ではなく、家族愛としてこの場では定義する。その家族愛に該当する人物は、私にとって主人ただ一人だけなのだ。

他の誰かが私を憎み、私を妬み、私を軽んじ、私の心身を著しく損なっても、主人だけはそうしないと信じている。それが私にとっての切実な愛情だ。生まれてから結婚するまで得られなかった愛情だ。

だから私はその愛情を守りたいし、ただ純粋に、主人を愛したい。

それは代替不能な愛情であって、もはや恋愛感情ではない。

今観ている仮面ライダーWのフィリップにとって、翔太郎と亜樹子が「新たな家族」という愛情を向ける対象であるのと同様に、私にとって主人は性愛を超えたところで結びついている家族愛の対象なのだろう。

以前、新たなアイデンティティという記事を書いたけれども、その時はまだ不確かだった「新たな家族」というアイデンティティが、ここに至ってようやく固まってきたと感じている。

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愛されるという客体から主体へと軸足を移すことの大切さはキリスト教の説くところではあるけれど、私は自分の手が届く範囲の人間しか愛せそうにない。

それでも今一度カトリックの思想に触れておくことは、この思想を固める上でも有用なのかもしれない。

クリスマスの時期でもあるし、再びこれまで読んできた書物に触れたい。