ANIRON

ひとりごと日記

2022.01.12 #1 厄落とし

おかげさまで創作トピックに入っていたようです。

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読んでくださった皆様、評価してくださった皆様、ありがとうございました。

引き続き当ブログをよろしくお願いいたします。

 

厄入りということで、朝に実家からネックレスが届いた。

snowrabbit21.hatenablog.jp

ありがたいことだし、厚い親心には感謝すべきことだと思う。

両親の気持ちをないがしろにするつもりはないし、たとえ深く傷ついた経験が今なお尾を引いていても、それはそれとして、気持ちを受け止めねばならないと思う。

親の恩に報いたいという気持ちで結婚式にも臨んだし、厄除け云々以前に、親子にとっての一つの儀礼、あるいはけじめとしてこういう品があるのだということも分かっている。

こうした品を贈ってくれる相手を毒親と貶すのはもってのほかだということも承知している。

ただ、その過剰なまでの偏った愛情が私を苦しめつづけてきたのもまた確かなことであって、それを受け取ることに、強いプレッシャーを感じてしまう自分もいる。

ともあれ、私ももういい歳をした大人なのだし、いつまでも親の問題にこだわっているわけにはいかないのだと、ここのところ感じるようになった。

時間という存在が癒しがたい傷を修復することはないけれど、それでも人間は時間を経るに伴って、違うステージに向かって歩いて行かざるを得ない。

式波・アスカ・ラングレーが結婚によって親との問題に決着をつけたように、私もまた新たな局面に立った。

親との問題は、少なくとも今の私にとってはアクチュアルな問題ではないのだろうと思う。

小説においてその非アクチュアルな問題と対峙しつづけようとしたことで、私は小説が書けなくなったと主人に指摘されて、御説ごもっともだと今は思う。

例えば詩においてその過去の問題と向き合おうと思ったことはない。詩とは常に現在を志向するものなのだと思っているし、「今」の「私」が「歌うこと」に意義があると思っている。そこに親という問題が介在する余地はなかったのだ。

小説においてそれができなかったのは、やはり近代文学的な自我意識に囚われすぎた結果なのだろうし、自分の根源的な問題が母との関係に起因することに、あまりにもこだわりすぎたのだと思う。

主人からは「もっと楽しいと感じるジャンルで小説を書けばいい」と云われて、私はそのことに強い反発心を抱いていたけれど、こうして終わった問題にいつまでも固執しつづける己の愚かさを、今日こうして初めて自覚するに至ったのは、やはり一つの厄が落ちたのだと云えるのかもしれない。

ふたたび小説を書けるかどうか、今はわからない。小説を書くことを半ば諦め切った私に、その扉を開けるかどうか自信はないし、元の場所にはもう戻れない。

だがその痛みを抱えながらも、「これまで書いてきた小説」に別れを告げて、今は詩歌の道へと進みたい。