ANIRON

ひとりごと日記

2022.02.16 作務衣と自分の言葉で詩を書くこと

作務衣が届いて、ようやく開封して着てみた。

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着心地はすこぶる良く、一日着ていても疲れない。こういう服を求めていたのだと思う一方で、まだこれを着て外に出る勇気は出ない。

ひとまず家の中で作務衣を着たまま過ごして、家事をしたりスピンバイクを漕いだりしたのだけれど、思った以上に快適で驚いている。

こんなことならばもっと早く作務衣を買っておけば良かったとすら思う。それほど着ていて体に負担がかからないので助かっている。

洋服が嫌いだということは以前にも書いたとおりだ。

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おおよそ洋服というものが好きになれないままおよそ30年間を生きてきて、ようやく自分の着るべき服に出会えたという心持ちがする。

この記事に書いた漢服も着てみたいけれど、着心地の良さではおそらく作務衣には勝らないだろう。私の故郷に住んでいる祖母は、かつて農作業をしていた間は野良着のようなものを着ていたけれど、あの服装にも意味はあったのだということに気づく。

私は故郷のことも、祖母のことも心から尊敬しているので、素直にその伝統の大河の中に自分があることを誇らしく思う。

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帰ってきた主人が私の作務衣姿を見て、とても似合っていると褒めてくれた。

主人も作務衣が気になるとのことなので、ぜひ買って着てほしい。

 

それからここのところ創作から離れていたと思っていたのだけれど、それでも詩を書いたり作歌をしたりしている。

作歌に関しては一時間粘って10首弱を詠むのがやっとなので、詩以上に気力体力を使ってしまい、なかなか詠めないでいたのだが、先日から詩歌タイムアタックを個人的に開催したり、おりひめ作業会で作歌をしたりして、これまでよりも短歌を作ることに時間を費やすようになった。

私はiPhoneのメモ帳で創作をしているので、メモ帳を使った時間が創作に充てた時間だ。

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ここのところ、詩も短歌も様々な模索を続けているのだけれど、詩に関してはやはり自分の言葉で悲しみを掘り下げなければ詩にならないと気づいた。

借り物の言葉や、表層的な美的な言葉では、どうにも詩というものの魂が損なわれてしまうようで、思うように書けない。

書けたとしても、やはり昨年末から先月にかけて書いた詩と比べると、歴然とした差が生まれてしまう。

自分の言葉で語ることは、意外と私自身は気にしていなかったけれども、詩にとって、あるいは文学にとって、あるいはブログにとって、とても大切なことなのだと気づいた。

表層的な美的な言葉はいくらでも作り出せるけれど、そこには魂が宿らない。私は常々ピアノや、中学時代に奏でていたコントラバスを弾くように、あるいは歌うように詩を書きたいと願ってきた。

だから即興でしか詩を書かない。書きながら詩の言葉が降りてくるのを待っている。

たまたまTLに流れてきた須藤岳史氏の詩論は、そういう意味で膝を打つような明快さがあった。

耽美的な詩を書いていたときも、詩は即興で作っていたけれど、その時はどちらかというとネタに重きを置くことが多くて、詩と「私」が大きく乖離したところにあった。

今の「私」が天から受け取ったものを詩にするという憑依的な詩作のあり方とは異なっていて、だからいくらでも詩を書けたのだろうと思う。今も月に十篇以上は詩を書くけれど、やはり憑依的に記述していくのは少々骨が折れる。ただその骨折りの労苦を厭うと、私の場合は詩にならない。

統合失調症という診断を宣告されてからずっと気が滅入っていたけれど、その憑依的に詩を書くという行いができるのは、ひとえにこの病気によるものなのだろうと思う。

そういう点では療養詩歌を作ると決めたのは正解だったのかもしれない。

先日買った吉増剛造の詩論『詩とは何か』はまだ買ったまま読めていないのだけれど、タイムリーでもあるし、できれば図書館から借りた本を読み終えたら読んでみたい。

また先日は『曹操曹丕曹植詩文選』を予約注文した。

こちらはまだ届かないが、六朝詩は文選、玉台新詠をはじめ、私が愛読してきたものなので、届いたらぜひ読みたい。

 

それから主人が帰ってきて、ルピシアのピュアダージリンブランド“スウィートオータナムル”とバレンタインのゴンチャロフ ガルニエのチョコレートをいただいた。

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実は短歌ユニット・おりひめ歌会のお相手のまさやまさんと、既知の友人である主人とともに短歌読書会をしようという話が持ち上がっていて、テキストは水原紫苑『如何なる花束にも無き花を』にすることになった。

まさやまさんも私も耽美的な短歌を好むこともあり、また主人も短歌を諳んじるなど、短歌に馴染みがあるので、有名どころかつ共通項である耽美的な作風ということで、横山未来子と水原紫苑を提案したところ、まさやまさんが水原紫苑に票を投じたので、そのような運びとなったのだった。

日時はまだ未定だが、先日の作業会に続いて、再びこのような場を設けられることが喜ばしい。

また主人と話していて、図書館で借りてきた『名句十二か月』の話をしたところ、興味を持ってくれて、しばらく手に取って読んで、「俺は短歌よりも俳句の方が好きかもしれないな。やっぱり俳句はいいなぁ」と云うので、いずれ俳句鑑賞会も二人で催せればいいなと思う。

こうして本を通じ、創作を通じて人との繋がりが生まれていくことはやはり喜ばしい。

持病でままならない日々が続くけれど、その中でもこうして楽しみを見つけていきたい。