深夜2:30まで眠れず、小説のプロットを作ってしまって、そこから調子を崩して今に至る。
小説のプロットが練られないこと、練っても書けないことをなぜなのだろうともどかしく思ってきたけれど、医師による適応障害という診断でようやく納得できた。
とはいえこの先も小説を書けないのかと思うとやはり気が重いし、小説講座に加入しなければ良かったと何度悔やんだことだろう。
気持ちの折り合いをつけたと思っても、そう簡単につけられるものではないのかもしれない。
人間の苦しみは一様ではないから、私がこうして書いたことも、他者にとってはおおよそ理解し難いかもしれないが、それでも私にとって小説を書けないことは大きな喪失となった。
小説を捨てて詩歌の道を進むと決めてからも、時々こうして気持ちに揺らぎが生じてしまう。その揺らぎに翻弄されて参ってしまい、消耗に消耗を重ねてゆく。
小説を書くことにドクターストップをかけられたことは、おそらくまだ有効なのだろう。
どうしても想いを振り切らなければならないと、朝にココア共和国に投稿をした。
先日まではなかなかこれといった詩がないように思われて、なかなか選べなかったのだけれど、朝のクリアな頭で選んだので、受かればいいなと思う。
そろそろ『ココア共和国』は3月号の当落発表があって、月末には金澤詩人賞の発表も控えている。
おそらく後者に関しては成果を挙げられないだろうなと思っているけれど、それでも今月は現時点で9篇の詩を書いた。
その一部をカクヨムで公開するかどうか迷ったのだけれど、今はやはり雑誌や賞の投稿生活に重きを置きたい。
非公開で詩を書き続けることに関してはまた別途こちらのブログに書いたので、そちらに譲るけれど、それでも今はインスタントな評価に翻弄されるいとまはない。とにかく書き続けなければならないという想いだけが胸にある。
そうしなければ到底小説という妄念から逃れられない。
夕方、短歌ユニット・おりひめ歌会のお相手のまさやまさんと、主人との短歌読書会のテキストである水原紫苑『如何なる花束にも無き花を』を注文した。
今の私にはかつてのような創作の場がないけれど、それでも確実にこうして交流できる仲間がいる。そのことにまずは感謝したい。まさやまさんとは大学の文芸サークルの先輩後輩の間柄で、まさやまさんは後輩に当たる。
当時はさほど話をしたりはしていなかったのだけれど、Twitterでつながった折にたびたび短歌を投稿していたので、歌会をしませんかと誘ったのだった。
先日は作業会も催すことができたし、そうした場を今後とも設けられればいいなと思う。
それからまだ消耗が続いていたので、まさやまさんから昨年秋にご祝儀にといただいた、鳳凰単叢 夜来香をノリタケのシェールブランのカップでいただいた。お菓子は自分チョコのカファレルのチョコレートだ。
詩的な香りというルピシア広報誌に書かれた文言がどうしても気になって、欲しいとツイートしたところ、まさやまさんがご祝儀に贈ってくださると云うので、お返しにヨックモックのシガールの詰め合わせを贈ったのだった。
おりひめ歌会を結成して、まだ一年にみたないけれど、それでもこの間こうして彼女にはたくさんお世話になってきたのだよなぁと思う。
その感謝の気持ちを少しでも返せるように、作歌に励んでいきたい。