19日は夫婦共々低気圧でダウンしていたので、あまり書くことがない。
昨日は本が読めないと書いた。どうやら読書トピックにも入っていたようで、お読みくださった皆様、評価してくださった皆様におかれましては感謝申し上げます。
今後とも当ブログをよろしくお願いいたします。
ただそのような状況でも這いつくばるようにして本を読み、息を吸うように本を買っている。
最近読んだのは戸澤宗充『すべてを喜びとする』で、これはもう何度読み返したかわからない私の愛読書となっている。
「結婚は気遣いが大切で、人間は気遣いを通じて成長する」「結婚相手にはひとつ尊敬できるところがあればいい」など示唆に富んだ内容で心を打たれた。ここのところ余裕を失っていたなぁと反省しました。また読み返したい愛読書です。
再読了日:2022年2月19日
詳細についてはこちらのブログに書いた。
それから最近は図書館で借りてきた宇多喜代子『名句十二か月』を読んでいる。
ここのところすっかり俳句から離れた暮らしをしているけれど、時々無性に耽美的な俳句を作っていた頃が恋しくなったり、歳時記が恋しくなったりする。
俳句は芽が出なかったこともあり、今はほとんど作らなくなってしまったけれど、またいずれ作りたいと思いながら、なかなか作れずにいる。
自分自身は短歌の方が向いているのだろうと思っているし、俳味というものが句作をしていた当時にはよくわからなかったので、自ずと限界を感じてあまり作らなくなったのだった。
とはいえ、俳句アプリに投稿していた時期に、同じく投稿している人から評価していただいたのは大変うれしかったし、今でも忘れられない。
また折を見て詠めればと思う。
またこの本の良いところは、前衛俳句から写生俳句まで、あるいは芭蕉から現代俳句に至るまで、一通り取り揃えた上で、押し並べて作品に忠実に読んでいるので、前衛俳句を表層的な美としてしか認識できない私にとっては、俳句を見る目を養う絶好のテキストだなと感じる。
また療養俳句がたびたび登場するところも注目に値するポイントで、療養詩歌を作っている人間としては、この本に出てくる療養俳句の俳人の句集は一通り揃えて読みたい。
そうした実作という点でも、また鑑賞という点でも優れた一冊で、かねてから私が通う図書館は、詩歌に強い図書館だという認識はあったものの、その尊崇の思いをいっそう新たにした。
ブログ「広寒宮」で綴ってきた図書館にまつわるエッセイに書き下ろしを加えた、図書館エッセイ集です。
「もうひとつの家」としての図書館との付き合い方や、うつ病当事者としての図書館との関わり、一利用者から見たコロナ禍の図書館の記録、幼少期に通った図書館との思い出など、今だから読みたい内容をぎゅっとまとめました。
本書が図書館を愛するすべての人の友となりうることを心から願っています。
-収録作品-
図書館という希望
ふたつの棚
図書館という友人
ふたたび図書館へ一
図書館の使い方を模索する
コロナ禍の図書館について
蔵書の整理
ふたたび図書館へ二
先達の目とBANANA FISHにみる図書館の精神
図書館という知の海に漕ぎ出す
図書館で知を拓く
学校の図書室の思い出
非常事態宣言下の図書館
本書に登場した書物
図書館には感謝と尊敬の念を常々抱いてきたけれど、できれば今後とも定期的に通って詩歌の数々を読めれば良いなと思う。
最近買った本はといえば、ローラ・ドイル『賢い女は男を立てる』と、『建礼門院右京大夫集全訳註』、水原紫苑『如何なる花束にも無き花を』で、水原紫苑の歌集は来週末に開催される短歌読書会テキストになっている。
ローラ・ドイル『賢い女は男を立てる』は我ながら愚にもつかない本を買ってしまったなと思うのだけれど、ここのところ夫婦関係で躓きを感じてしまう場面があって、少し悩んでいたので、処方箋として買うことにしたのだった。
少しばかり読んでみた様子では、翻訳調特有の話があちこちに飛躍する語り口で非常に軽薄なので、やはり戸澤宗充『すべてを喜びとする』には及ばないと感じるのだが、つべこべ云わずに最後まで読みたい。
『建礼門院右京大夫集』は先に古川日出男訳『平家物語』を読んでからが良いだろうから、しばらく積むことになるけれど、こうした本は読みたいと思った時が買い時なので、積むことは初めから織り込み済みだ。
急を要するのは水原紫苑の歌集だけれども、こちらは読書意欲が失せているときにカンフル剤として読みたい。
そうして先延ばしにしているうちにどんどん詩歌を読めなくなってしまうのは私の悪い癖だとも思うのだが。
とにかく読む手を休めずに、どんなに本が読めない状況でも何かしらの本を読んでいたいと思う。