トピック入りの報告とお礼
創作トピックと読書・マンガトピックにお邪魔していました。
お読みくださった皆様、評価してくださった皆様、ありがとうございました。
引き続き当ブログをよろしくお願いいたします。
ブログ一周年に寄せて
さて、この日記ブログをはじめてちょうど一年が経った。
初めは心身の不調を掘り下げていくような内容が多くて、そうして絶望を語ることで、心に傷を抱えた人々とブログを通じてつながることができるのではないかと思い、日記を書き続けてきた。
その思いは今も変わらない。私は心身に不調をきたしている人間で、どう足掻いても病から逃れることはできない。
日記を通じてしか吐露できない感情は山のようにあったし、日記を書くことそのものが私を癒し、時に傷つくこともあったけれど、それでもこの場を通じて社会とつながっているのだという意識を今も持ちつづけている。
病を語ることは、すなわち自分自身が持っているフィルターを語ることに等しいのだということを以前書いた。
その思いもやはり変わってはいない。
ただ、ここのところ詩歌で模索をつづけているように、単に病を語るのではなく、そこを起点としながらも、さらに視点を広げていくこともできるのかもしれないと思う。
特にここ最近はウクライナ情勢への懸念もあり、自分が時代というものといかに相対すべきかということを考えることが多くなってきた。
そうした時にやはり先人の知恵に倣いたいと思うし、私にとっての先人とは泉鏡花に他ならない。
また平和を求め、原爆のきのこ雲の下で聖歌を歌いながら亡くなっていった、出身校の先輩方にもきちんと顔向けできる人間でありたいと思う。
混沌として先の見えない世の中ではあるけれど、それでも私の信ずる神道の説くところの「清明」を旨として生きていきたい。
2022.03.03の日記
今日一日を振り返ってみると、心身ともに体調が優れず、不調な一日だった。
朝に花の手入れをして、いくらか見栄えがよくなってうれしくなった。
こんな状況でも花は咲く。コロナ禍がはじまった当初、そのような言葉をテレビで聞いたけれども、戦果のさなかにも咲く花を、今はせめて愛でたいと思う。
それから薬局へ行って薬を受け取った。
昨日の電話受診で、ワクチン接種3回目を3/4に控えているという話をしたところ、主治医がカロナールを処方してくれたので助かった。
鐘の音はやはり幻聴なのではないかと私は思うのだけれど、それはともかく、内科医の資格を持つ主治医だけに、時折漢方を処方してくれたり、こうして内科の薬を出してくれることはありがたい。
主治医との付き合いももう12年ほどになろうとしている。この間様々な言動に傷ついてきたけれど、それでも主治医の理解がなければ、今の私はなかっただろうとも思うし、一時期は転院も考えたけれど、診断名にも納得しているし、電話受診ができるというメリットは捨てがたい。
病をめぐる様々な不安は尽きないし、この状況下で病状が悪化していることは間違いないけれど、せめてこうして花を愛し、感謝の気持ちを忘れないようにしたいものだと思う。
この先、世の中の状況がパッと改善することはまずあり得ないだろうから、そのような時勢の中でも、自分にできる範囲のことを精一杯やっていくしかない。
ココア共和国3月号が発売されたので確認したところ、佳作として掲載していただいた拙作「忘却の鳥」に秋吉久美子先生から「なんだかいいね!」をいただいていた。
ありがたいことに、秋吉先生からこうして評価していただけるのも毎回のことになっている。
母は秋吉先生をテレビで観て知っているらしく、「きっと波長が合うんでしょうね」と云っていた。
大変恐れ多いことではあるけれど、こうして評価していただけることが何よりも喜ばしい。
ここのところなかなか作詩ができずにいるのだけれど、これを励みにさらにがんばりたい。
また再び短歌の折本を作りたいという思いが高まっているので、ワクチン接種が済んでしばらくしたら、歌集に収める短歌を選ぶつもりでいる。
過去作はこちらから引き続きDLしていただけますので、よろしくお願いいたします。
それまではどちらかというとゴシック寄りのダークな短歌を詠むことが多かったのだけれど、ここ最近は軽みのあるニューウェーブ短歌風の作風に変わりつつある。
ニューウェーブ短歌もまだまだ読みこなせてはいないのだが、書肆侃侃房のシリーズはその傾向が強くて、さらに様々な歌集を読んでみたいと思っている。
また主人とおりひめ歌会のお相手のまさやまさんとも、また短歌読書会をしたいという話が出ているので、水原紫苑につづいて、次回は横山未来子でできればと考えている。
主人は横山未来子が好きで、まさやまさんも好みな作風だと語っていたので、すんなり決まればいいなと思う。
ゆくゆくはニューウェーブ短歌など、毛色の違う現代短歌でも読書会をしたいし、主人とは俳句読書会もしてみたい。俳句の好みは主人と私とで分かれるけれど、ここのところ短歌を詠んでいて写生の面白さを感じることが増えてきた。
今ならかつては分からなかった俳句の俳味というものも少しはわかるかもしれない。
勉強不足ではあるけれど、石田波郷など、写生を旨とする俳人はいくらか分かるので、それらをテキストに選ぶのも良いかもしれない。
こうして色々と欲は尽きないのがせめてもの救いで、数日前に創作意欲が落ちていて困ると弱音を書いたけれども、私にとって創作はやはりなくてはならないものらしい。
その必然性や切実さが少しでも創作物に結実してくれることを願いつつ、今後とも詩歌の道を歩んでいきたい。