ANIRON

ひとりごと日記

2022.03.10 適応障害と詩歌の道

創作トピックにお邪魔していました。

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ブクマをはじめ、評価してくださった皆様、お読みくださった皆様、ありがとうございました。

引き続き当ブログをよろしくお願いいたします。

 

朝、出かける予定があったので、あらかじめはがきを書いておこうと思って、山種美術館から届いた花のポストカードのうち、桜のポストカードを選んで、実家と妹に宛ててそれぞれ書いた。

山種美術館 桜と花の絵画 絵はがき10枚セット ¥1,100

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本当は友人にも送りたいのだけれど、かえって気を遣わせてしまうかもしれないと思うと、なかなか足を踏み出せない。

送るにしても改めて住所などを尋ねなければならないので、そちらは見送ることにして、ひとまず二通を書き終えてから外へ出た。

和歌の浦短歌賞への振込を済ませて、買い物から帰宅すると、クタクタになってしまった。

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ひとまず好物のサンドイッチと、ルピシアのシロニバリを淹れてひと息ついて、金澤詩人賞の結果を見てみたら落選していた。

講評を見るに、どうにも作風に関してミスマッチを起こしていたようで、今後は送り先もよくよく選ばねばと思う。

私は詩とは技術だと思っているし、眼高手低ながらも日々技術を高めるべく詩歌を作っている。その日々についてはこれまでも繰り返し語ってきたから、重複は避ける。

しかし講評では技術はかえって人間の神秘性を損なうとか、技術に対して下品という趣旨のことが書かれていて、到底納得できる詩論ではなく、選ばれた詩に対していかなる評価を下すものではないにせよ、講評がこれではどうにもならないと思う。

それからしばらくふつふつと怒りが込み上げてどうしようもなかったのだけれど、やはり現代詩手帖に詩を投稿しようと思い至った。

現代詩手帖はまだまだ私には敷居が高いという思いがあって、投稿することを随分と躊躇っていたけれど、少なくとも詩作とは天賦の才能やピュアネスだけではなく、技術を要するものだという大前提がある場でなければ投稿を重ねても意味がない。

またここにこうして批判だけを書くのはフェアではないし、自分なりの教訓として残すべく、noteに落選作を投稿した。

note.com

note.com

彼我の作品を比べてみても、やはりどう考えてもミスマッチを起こしていることは明白で、前年度の作品をよくよく読んでから投稿すればよかったと思う。

2021年9月・10月・11月号・2022年1月・2月・3月号と佳作入選しているココア共和国にも、今月号にも投稿したいと考えているし、引き続き入選を目指して励んでいきたい。

ここのところようやく詩歌の道を歩むことに対して腹が座ってきたように思う。

適応障害という持病を患う中で、小説の道を諦めるのは忸怩たる思いがあったし、一年半もの間葛藤を抱えつづけてきたけれど、今にして思えばそれも決して無駄なことではなかったのだと思う。

先日、岡田尊司『ストレスと適応障害』を読んだ。

この本の中で、次のようなくだりがあった。

若いうちは一つの可能性ばかりに自分を限定せずに、他の可能性を試してみることも大事だ。その意味で、適応障害を起こして動けなくなっているのに、無理にその環境でやり続けようとすることは、必ずしも賢明な策とはいえない。生活や収入や世間体のことを考えて、しがみつかざるを得ないというケースは多いのだが、本当に合わないのか、それとも枝葉末節の問題で躓いているだけで、本質的な部分では意欲をもっているのかという点をよく見極めることが大事だ。

小説を書きたいという気持ちが全くなくなってしまったというわけではないし、自分にとって好ましい文体で、好ましい小説を書きたいという思いはまだどこかにあるのだと思う。

ただ、今のところはやはり詩歌の道を進みたいと思っている。

小説のプロットを立てるだけで発作が出てしまうので、もう小説の道には戻れないだろうという覚悟は決めているし、ここのところ詩歌の道を進むことに、ようやく自信を見出せるようになってきたのだ。

小説は25年書いていたし、失ったものは私にとっては大きかったけれど、それでも今は新たな目標に向かって一歩ずつ歩んでいきたい。