ANIRON

ひとりごと日記

2022.03.13 できうる限り痛みを引き受けること

さまざまなことが頭にかかって離れず、昨夜は眠れないまま朝6時まで起きてしまい、それからやむなく薬を飲んで眠った。

それから起きてみると14時近くて、低気圧で体力気力ともに著しく消耗してしまい、辟易としていると、主人が出かけないかと云う。

曰く、熱帯魚店でメダカを買いたいのだそうだ。

短歌の良い題材になりそうなので、なんとか薬を飲んで身支度をして出かけた。

まずはコンビニで飲み物を買って、公園でしばらくの間過ごした。そうしているうちに主人がコートのポケットから啄木歌集を取り出して、朗読しはじめた。

しばらく聴いているうちに、啄木の気取ったところのない軽やかな歌がだんだんと心に沁みてきて、なんとも云えない気持ちになった。

泣きたくてしょうがない気持ちにそっと寄り添ってくれるような、あるいはその気持ちを代弁してくれるような歌の数々に切なさが込み上げてきた。

私は詩歌を作ることで、泣けない分の涙をこぼしているのかもしれないと思う。少なくともそのような悲しみがなければ歌は生まれないのだと、啄木の短歌を聴いていると思わずにはいられない。

昨日ちょうど啄木歌集を私も買った。

積読本が何かと多く、読みたい本も多々あるので、しばらくは積んだままにしてしまうかもしれないけれど、いずれ読みたいと思う。

f:id:aniron:20220312193326j:plain

f:id:aniron:20220313181454j:plain

帰宅してルピシアダージリン1stフラッシュでお茶をして、それから短歌を詠んだ。

やはり外に出ると色々と詠みたいものが出てくるものだなと思う。家の中にいて頭の中で作るよりも作品にも幅や深みが出ると感じる。

療養詩歌を作りはじめてから、そのようにして地に足のついた短歌を作ることが多くなってきた。

頭の中だけで耽美的な短歌を作っていたこれまでの私は、短歌の素晴らしさの十分の一も理解してはいなかったのだなという思いを新たにする。

さらに作品を読みながら、自分の作風の方向性を模索していきたい。

また詠んだ短歌のうち、これはなかなか良いかもしれないと思うものが詠めたので、NHK短歌にふたたび応募することにした。

 

f:id:aniron:20220313181511p:plain

こうしてひとりで黙々と短歌を詠むことに、どれほどの価値があるのか、今はわからないけれど、それでも歌を作り、詩を書き続けたいと思う。

詩はここのところ作れていないのだけれど、引き続き吉増剛造『詩とは何か』を読み進めている。

f:id:aniron:20220311210014j:plain

でも、それでも表現はしたいのです。言表不可能なものを前にして、立ち竦(すく)み、だが、どうにもできないこともあらかじめ知っていながらも、それでもどうしても何かを言いたい、表したい、でも、それはできない。でも、それでもやっぱり何かを表出しないでおくことは出来ない、……そんな苦悩、もどかしさ、激しく身を捩(よじ)るような「もだえ」と切迫感……言葉が言葉にそって尋ねているような、木霊というよりもじつに哀切な襲ね合わせそういった、根源的な「痛苦」に対して何とか表現を与えようとする苦闘、エミリーのときにみましたような「無言の言語」、「しるし」が「──(ダッシュ)」として、ツェランにもあらわれてきています。その「痕跡」がツェランの「詩」と呼ばれているものなのです。

──吉増剛造『詩とは何か』講談社、2021年、pp87-88

まさにこの詩を書くに際して生まれ出る痛苦が、私にとっては詩を書くに至る切実な動機となっているのだと、ようやく偉大な詩人によって言語化していただけたのだと思った。

痛苦に端を発する詩を書くことすら、ここ数日は全くできずにいるのだけれど、それはウクライナ情勢の悪化によって、それまでの日常が全く奪われてしまったというショックに対して、もはや私自身は何もなすすべがないという恐怖が強いのだと思う。

外に出れば空から落ちてくる爆弾を幻視してしまうようになり、それは短歌にも詠んだ。しかしその恐怖、苦しみに対して、詩でどのように歌えばいいのか図りかねている。

私は何度も書いているように、被爆地出身で、被爆した学校を出ている。先輩方は被爆して、聖歌を歌いながらお亡くなりになっていった。

その痛みを限りなく自分に引き寄せることでしか、歌うことはできないのだろうけれど、それは大きな苦しみを伴う。その苦しみは日を増すごとに大きくなっていて、もはや自分自身ではいかんともしがたい。

以前、反戦詩歌を書くことは私の責務だと書いたけれど、それも単に平和を歌うとか、祈りをこめるだとか、そうしたスタンスは私には取れそうにない。

長崎にいた頃、原爆の落ちた夏になると、死者たちの魂が地面から湧き起こってくるような心地がしていた。それを鎮めるために必要なものが歌であり、祈りだったのだと思う。

夏という季節は、長崎にとって慰霊の季節だ。蝉時雨の声も、あの原爆が落ちた夏の朝へとつながっていて、決して無縁ではいられない。その土地に刻み込まれた人々の苦しみを感じるたびに心が打ちひしがれそうになっていた。平和記念式典だけでは癒されない、無声の人々の嘆きが満ちていた。

だから今回のウクライナ情勢の悪化に際しても、痛みを自分のものとして引き受けなければならないのだと思う。それが私にとっての精一杯の誠実な態度だ。

それは単に情勢の動向を知るとか、寄付をするとかということでは済まされない。声なき嘆きに耳をすませようとする心のはたらきがなければ、真に痛みを引き受けることはできないのだと思う。

その痛みを歌うことが自分にできるのだろうかという大きな壁が立ちはだかっていて、どうにも今はその壁を乗り越えられそうにないのだ。日を増すごとにその思いは強くなっている。

こうして書いてみても、自分の感じている痛みの百分の一も伝わる気がしない。それでも言葉を重ねて、何とか表現を試みるしかないのだと思う。

たとえ今こうして詩を書けなくても、それは私にとって必要な時間なのだと今は思う。反射的に反応をして表現をすることだけが良いことではない。

むしろ言葉を発するに際して、何を思い、それを表現するまでにできるだけ丁寧に向き合うことが、せめて今は詩に対する、あるいはウクライナの人々に対する、精一杯の態度なのだと思う。