ANIRON

ひとりごと日記

2022.03.14 もはや痛みと無縁ではいられないから

 

トピック入りの報告とお礼

読書・創作トピックにお邪魔していました。

aniron.hatenablog.com

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お読みくださった皆様、評価してくださった皆様、ありがたとうございました。

引き続き当ブログをよろしくお願いいたします。

 

短歌

ほぼ一日ダウンしていた。

原因は色々とあるのだけれど、ここには書かない。

ただ気温差の影響と気圧の影響がどうにも大きく、内外の事象も相まって体調を崩している。

しょうがないので横になりながら短歌をいくつか詠んだけれど、自分自身の悲しみを歌おうとするあまりにやりきれなくなってしまった。

悲しみを直視するにも気力が必要なのだ。

そして短歌を公開する場があれば良いなと思いながらも、なかなか行動に移せずにいる。

今のところ『病めるヒュプノスの夏』につづく折本を作れれば良いなと考えているけれど、まだまだ短歌が出揃うには時間がかかるので、しばらくは懸命に詠みためていくしかない。

star-bellflower.booth.pm

また投稿もまた考えようと思っている。

NHK短歌には今後ともコンスタントに投稿していきたいし、角川短歌や短歌研究にも投稿できるように励みたい。

とにかく量をこなさなければ話にならないので、また毎日記録をつけて詠んでいきたい。

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shinchoku.net

 

散文詩

さらにnoteにも書いたけれど、新たに第一散文詩集『挽歌-elegy-』をお読みいただいたようで、ありがとうございました。

罪人の冠を頭にいただき、人の子を惑わしたすべての女の恨みを纏って、私は消えてゆく。
嘉村詩穂の個人詩集。 個人サイト「紫水宮」と主宰している文芸サークルかもめのweb文芸誌「かもめソング」に発表した詩に、書き下ろしを加えた散文詩集です。
耽美主義を掲げ、表題作となった「挽歌」を中心に、主に和風・東洋風の幻想的な詩を収録しています。

-収録作品-
マディソン

逝春(せいしゅん)
よみひとしらず
或神話研究者の最期
挽歌
或楽師の書簡
緋鯉抄
調香師の終末
秋菊
夕波千鳥
秘仏
雪女郎
墨色の使徒

note.com

kindle unlimited会員様は追加料金なしでお楽しみいただけます。

同人誌版『挽歌-elegy-』を上梓してからもう5年が経つのかと思うと早いものだ。

当時はまだ文芸同人サークル・かもめの活動が盛んで、合同誌『かもめソング』も作って、そちらは完売することができた。

私にとっては青春のかけがえのない日々だったのだと思う。

『挽歌-elegy-』は今から捉え直してみると、詩としては拙い部分もあるけれど、当時はとにかく詩を書くことが何よりも楽しかった時期でもあった。自分自身の尽きることのないイマジネーションを詩に乗せて歌う楽しさは、今でも肌で覚えている。

第二詩集『真珠姫の恋』まではそうした詩との幸せに満ちた時間が続いていた。

『挽歌-elegy-』『真珠姫の恋』の耽美的な作風から離れて、療養詩歌を作るようになってからは、日々詩を作ることの厳しさを見つめることが多くなってきたし、それはここ最近も書いてきた通りだ。

aniron.hatenablog.com

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今の姿勢が間違っているとは思わないし、今後ともひたむきに詩と向き合わねばならないと思う。

ただ詩を書く楽しさがここのところ損なわれているのもまた確かなことで、こうして『挽歌-elegy-』をお読みいただいて、改めて「楽しみながら書くこと」の大切さを問われているように感じる。

ただこの状況下で何も思うところもなく、ただ楽しさだけを追求して詩を書くことを良しとすることは、やはり私にはできない。

その苦しみを起点に生まれようとする詩をいかに書くかが今まさに問われているのだろうと思う。

短歌は日々詠んでいるけれど、詩は書きあぐねていて、ここのところ作れずにいる。

昨日はそのためらいを大切にしたいということを書き記して、それは大きく誤っていないだろうと私は信じている。

苦しみの只中にあって祈ることすら難しいのが現状で、苦しみを見つめつづけることも気力を要する。だがそれでも傷を見つめなければ詩は生まれないのだろうし、

傷から目を逸らさない様に

と歌うTK from 凛として時雨のように、せめて今はじっと傷を見つめていたい。

それがやがて

僕を刺したナイフさえも

いつかきっと光を射すから

と信じられるようになるまで、回復と再生がもたらされることを今はただ願うほかない。

 

追記

ようやく詩を書いた。そこにあるのは祈りではなく、ただ痛みと苦しみばかりで、苦鳴を上げる我が身と、春の嵐のような世の中を重ねて、タイトルは「春嵐」とした。

祈りに至る前の苦しみを今はただ描くことしかできないのだと改めて思う。それは戦争を描くというよりも、より自分の身に引き寄せた形の、卑近な表現にしかならないのだけれど、卑近なところまで近づけなければ、自分のものとして歌うことはできない。

以前、他者表象について書いたことがあったけれど、やはり他者を語ることは私には困難だと感じる。自分の身の周りのこと、自分自身が今感じていることを表現することでしか、私には他者とつながるすべはない。

その痛みをせめて今はしっかり抱きしめていようと思う。

詩の表現はいつもよりも直接的で、随分と露悪に傾いたという自覚はある。この戦争を機に、おそらく私の表現する詩や短歌は大きく変わっていくのだろうし、そうせざるを得なくなるのだろうとも思う。

その恐れもあって詩を書けずにいたのかもしれない。

同い年の主人と話していて、「俺たちは生まれてから随分と歴史の転換点を見てきたね」と云っていて、たしかに9.11、3.11、そしてコロナに、このウクライナ情勢とさまざまな困難と痛みとを味わってきた。

その痛みと無縁ではもはやいられないのだろうと思う。