トピック入りの報告とお礼
創作トピックにお邪魔していました。
お読みくださった皆様、評価してくださった皆様、ありがとうございました。
引き続き当ブログをよろしくお願いいたします。
詩
さて、昨日書いた詩をココア共和国に投稿した。
現状ではウクライナ情勢に関して、これ以上の詩を書けないと判断したためだ。
むろん今後とも試行錯誤を重ね、言葉を重ねながら模索をつづけなければならないと思う。
それでもここ数日の間、考えに考え抜いてから生まれた詩をやはり投稿したいという思いがあったのだった。
その経緯はこれまでにも書いてきたのだけれど、拙いながらも日記に書き綴ってきた詩論に近しいものを、何かしらの形でまとめたいという思いが頭をもたげてきた。
むろん詩論と呼ぶには烏滸がましいものだし、私自身も日々試行錯誤の中でさまざまに詩について考えてはいるけれど、それらはプロの詩人からしてみれば笑止とも云うべきものだろう。
ただ、自分なりに考えを深めてきたことをいったん一つの形にまとめておきたいと思う。
原稿を一から立ち上げるというよりは、この日記の形式で、時系列に沿ってまとめられればと思う。
頒布形式はBOOTHでのPDF形式にしようと考えている。KDPだとどうしてもロイヤリティの関係で、この日記から削除しなければならなくなるためだ。日記という場を大切にしている身にとってはそれは避けておきたい。
本当は同人誌などにまとめられれば一番いいのだけれど、あいにくとイベントに参加する目処も立たず、体調上の理由もあってなかなか難しい。製本作業だけでも体力気力勝負になるので、今の私にはハードルが高い。
まだ詩に関しては発語するのもままならない日々が続いていて、そのような現状をなんとか打開したいという思いもある。
BOOTHではPDFのDL形式で歌集・詩集の折本の頒布なども行っているので、ご覧いただければ幸いです。
掌編小説
昨日から随分と迷っていたのだけれど、とうとうかねてから気になっていた、一点もののヴィンテージのティーカップをお迎えすることにした。
WINDSOR社の桜が描かれたカップで、1950年代のものだという。
以前から桜モティーフのカップが欲しいと思っていたのだけれど、ウェッジウッドのものは華やかすぎて少々我が家には合わないので、買いあぐねていたのだった。
桜というモティーフはもちろん花が好きということもあるけれど、それ以上にIFとの関係を象徴する花でもあるので、私にとっては最も大切な花だと云っていい。
そうしてティーカップを題材に詩を書きたい、あるいは短歌を詠みたいと思っていたのだけれど、思ったよりも意味に囚われすぎてしまったので、掌編小説としてネットにUPすることにした。
こうしてみると、小説を書けなくなってしまっても、掌編小説はまだなんとか書けるのだなとほんの少しほっとする。
ここからリハビリを続けていけば、なんとか1000字、2000字と伸ばしていけるのかもしれない。
ちょうど春を題材に書いた、こちらの掌編小説は即興で書いたのだけれど、読書家の友人から褒めてもらえて嬉しかったのを覚えている。
春という季節を思う時、私はいつも死を想ってしまうのだけれど、ウクライナ情勢悪化以降はその意味合いがリアリティを持って迫ってきたと感じている。
古くはもちろん西行の歌だけれども、元ちとせ「春のかたみ」も慕わしい。
その思いをなんとか昇華したいという一心で書いたのだけれど、日記を一年間書き続けてきて、何度も死にそうになった自分自身へのなぐさめの思いも幾ばくか含まれているということを書き添えておきたい。
おそらくこの状況下にあって、かねてより心身に不調を抱えてこられた方は、云いようのない不安と恐怖感に包まれておられることとご拝察する。
私自身もまたそのひとりであって、私に語りうることは決して多くはないのだけれど、それでも語りたいという思いがあったのだった。
その思いが少しでも読んでくださる方に届くことを願う。