ANIRON

ひとりごと日記

2022.03.16 アニメ「平家物語」と「聞く」こと

創作・読書トピックにお邪魔していました。

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お読みくださった皆様、評価してくださった皆様、ありがとうございました。

引き続き当ブログをよろしくお願いいたします。

 

昼間に『わたしたちが描いたアニメーション「平家物語」』を読んだ。

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アニメのサウンドトラックを聴きながら読んだ。
維盛と義経推しだったので、維盛のモデルが上原謙という役者だったことをこの本で初めて知って、さっそく画像検索したところ、純和風の美丈夫がいて驚いた。まさに維盛という感じ。
まだ原作は読めていないのだけれど、それでもアニメを完走してしばらく経ち、改めてこうしてアニメ平家物語の世界に触れてみると、熱い想いをもって制作に当たっていたことが窺い知れて胸が熱くなった。
美術や装束など、さまざまな歴史画や日本画をベースに作り上げていった経緯も描かれていて、日本画ファンとしても嬉しい本だった。
アニメはもう一周したいなと感じているのだけれど、今度は一人で観ることになりそう。その前に原作をなんとか踏破したい。
平家物語の世界と、今の世の中の状況がマッチしている悲しみを含めて、じっくり味わいたい一冊となった。

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平家物語を完走してからしばらく経つ。

あれから世界は大きく変わってしまって、平家物語に描かれる武士の戦争と、民衆を巻き込む現在の戦争とは質的に大きく異なるけれど、それでもやはり重ね合わせて見ずにはいられない。

思えばこの30年、バブルが弾けて生まれた私の世代は、まさに平家物語の世界を生きてきたと云ってもいいのかもしれない。

9.11、3.11、コロナ禍のはじまりと現在に至るまでの継続、そしてこのウクライナ情勢の悪化と、世の中は悪くなっていく一方で、貴族のように暮らしている実家の暮らしなどとは比べるべくもないような暮らしを強いられている。

持病をはじめとした、さまざまな要因はあるにせよ、このような状況下では私には子供を産み育てることもできない。

そのような終末的な世界観で生きてこざるを得なかったことは、我々の世代にとってはもはや受け入れざるを得ない運命的なものであって、これを呪ってばかりもいられない。

そうはいってもやはりどうしても「子どもの頃は良かった」と思ってしまう。それも何らおかしなことではないのだ。自分自身が未来に対して消極的にならざるを得ない材料は、すでに数多く揃っているのだから。

その厭世的で末法思想的な観念と、このアニメ版「平家物語」は非常にマッチしているのだと思う。

そうした痛みを引き受けざるを得ないことを、ここ数日記事に書いてきた。

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そのいくばくかが読者の皆様に伝わっていればいいと願うほかないけれど、とにかく時代は困難な状況にあることに変わりはなく、その中でいかに生きるかということを考えねばならないのだと思う。

以前、主人に「雨伽さんは仁道を重んじる人だからね」と評されたり、友人に「雨伽さんはキリスト教の精神に根ざした人ですからね」と云われたりしたことがある。

私自身は神道キリスト教をはじめとした、古典的な宗教が好きで、宗教に親しみやす人間だと思ってはいるけれど、そのいずれかを少しばかりでも体現できていることに対して、あまり自信はない。

ただ「話を聞く」ということに関しては、仕事ではないけれども、自分の役目として全うできるようにしたいと考えている。

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私にも話を聞いてもらいたいときはあるし、愚痴をこぼしたいことも、泣き言を喚きたい時もある。それをグッと堪えて、人の話に耳を傾けるとき、自ずと人と自分との心が癒されていくのを感じる。

アニメ「平家物語」において、びわは「語る」という役目を担うことを自らに課した。

「語る」ということはやはり「見聞きすること」を前提として成り立っていて、それなしには「語る」ことはできない。

アニメ「平家物語」における主軸がそうであるように、歴々の琵琶法師たちも「語り」ながら、同時に鎮魂の祈りを捧げてきたのだろうと思う。

他者を「語る」ことは時に暴力となるということを、大学で叩き込まれた身としては、ぞんざいな態度で他者を「語ろう」とはまだ思えない。それはせめてもの史学学徒としての誠意だと思っている。

ただし、そのような私にもまず「聞く」ことはできる。それを語るかどうかはさておき、ひとまず人の話に耳を傾けることを今後とも自分自身に課していきたい。