ANIRON

ひとりごと日記

2022.03.16 #2 泣きたいのに泣けないので詩を書く&公募への短歌投稿

タイトルは尊敬する吉田隼人『死にたいのに死ねないので本を読む』より。

泣きたいと思っても泣けない日が続いていて、こういう時に無理に泣こうとすると一時間ほど泣く羽目になるので泣くに泣けない。

そういう時は詩を書く。

昨日、主人に「愛情を貯めておけないんだね」と云われた。与えられたそばからどんどん溢れていってしまう。愛着形成に問題があって、絶えず飢えている。だからなんとか自分の機嫌を取ろうとするのだけれど、その気力もない時には詩を書くしかない。

詩を書いている間は幸せだと云えるだろうか。苦鳴をこぼすようにして日々詩を書いていて、それで心が満たされているとは云いがたい。ただ悲しみを歌わなければ詩にはなり得ないのだと思う。

……ということも、再三にわたって書いてきた。そろそろ詩を発表する場を見つけたい。ココア共和国には毎月一編のみしか投稿できないので、他にも投稿する場を開拓する必要がある。

そうして「最適日常」を眺めていると、短歌の公募で出したいものが見つかった。

NHK学園が主催する、「夏の誌上短歌大会」とのことで、NHK全国短歌大会に続き、NHKが主催する公募に出詠するのはこれで二度目になる。

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ちょうど最近詠んだ短歌で出したいと思う作品があったのでタイムリーだった。

短歌はネットで投稿できる公募が多くて、病身の身にはありがたい。今回も出詠するのに2000円を投じたけれど、さてはて吉と出るか凶と出るかはわからない。

ただ選者に黒瀬珂瀾の名があり、かねてから歌集を読んでいたので、どうしても送りたいという気持ちが高まってしまった。

もちろん出詠するからにはそれ相応の覚悟はあるし、できれば採っていただけるに越したことはないけれど、今後ともますます詩歌を盛んに作っていきたいと思う。

作歌はここのところ頻繁に作っていて、日々感じたことを歌に載せるのが面白いと感じている。

これは耽美的な作風で短歌を作っていた時期には全く味わえなかった喜びで、かねてから書いているように「木が沈み石が浮く」ということが短歌の場合は大半を占めるのではないかという気がしている。

そうして日々の卑近なところに端を発して短歌を作っていると、詩とは違ってより内面的な場所に触れるような歌が生まれることもあり、そのスリリングさと緊張感もやはり楽しい。

そう考えてみると、ここのところ私は詩を苦しみを持って書き、短歌は楽天的に作っているらしい。

その差は決して見過ごすことのできないものではあるけれど、それでも悲しみから生まれない詩を私はどうしても受け入れることはできない。「泣きたい」という自分の言語化され得ない感情を、別の言葉を使って迂回しながら、時に掘り下げながら、なんとか表現しようと試みる。

それは直接的に「泣きたい」ということを訴えることではないし、村上春樹が「例えばそれはこういうことです」ということを延々と繰り返していくのが小説だという趣旨のことを職業としての小説家に書いていたけれど、散文詩もまた同じようにして作り上げていく過程が確かに存在するのではないかと思う。

ただその表現が小説の場合はより具体的な事象になるのに対して、詩の場合は言語表現の云い換えや、より抽象的な表現へと変わっていくことになるので、手法としては真逆のことをしていることになるのかもしれないが。

それが私にとって詩を書く最大の喜びだと云えるのかもしれない。