ANIRON

ひとりごと日記

2022.03.18 原稿と音楽と「朝日歌壇」鑑賞

創作・音楽トピックにお邪魔していました。

aniron.hatenablog.com

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お読みくださった皆様、評価してくださった皆様、ありがとうございました。

引き続き当ブログをよろしくお願いいたします。



朝に詩歌日記の原稿の手直しの一部をした他は、総じてあまり中身のない一日だった。

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shinchoku.net

一日中爆弾低気圧でおおよそ何をする気力もなかったので、お気に入りの動画や録画している番組を観たり、音楽を聴きあさったりしていた。

青葉市子の新作「うちゅうのみなしご」を聴いたり、友人がライブに足を運ぶという、haruka nakamuraのorbeのプロモーション動画を観たり、「北欧、暮らしの道具店」のうんともすんとも日和を観た。

youtu.be

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普段はapple musicで音楽を聴いているのだけれど、夜中は電子機器にあまり触らないようにしようと、テレビでYouTubeで音楽を流すことも増えてきた。

そういう時に青葉市子のライブ映像はよく観ていて、ここのところの忙しない世の中で気が滅入りそうな時に癒されている。

youtu.be

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haruka nakamuraも青葉市子も10年ほど前に友人から教えてもらって、haruka nakamuraに関してはsonoriumのライブをはじめ、さまざまなライブに足を運んできた。

それからも色々と音楽を教えてもらって聴いている。

ここのところずっと髪を伸ばしていて、先日は青葉市子に惹かれて前髪を久しぶりに切った。

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なんだか幸薄さが増してきたなと思う。

ここのところの不調たるや、なかなかつらいものがあるので、病苦の有様が顔にも出てくるのかもしれない。

ちなみに今はこちらのライブアルバムを聴きながらこれを書いている。

Live at Jazzstate, 04/12/2019

Live at Jazzstate, 04/12/2019

  • Albert Karch & 青葉市子
  • シンガーソングライター
  • ¥1528

music.apple.com

うんともすんとも日和は、お気に入りの「北欧、暮らしの道具店」のラジオ番組「チャポンと行こう!」のアニメーション映像を手がかけている作家の番組をふたたび観た。

youtu.be

日々の暮らしの中から作品が生まれてくることを、私はどちらかというと遠ざけようとしてきた人間だったけれど、それは生活というものが本当の意味では分かっていなかったからなのだということを強く感じる。

専業主婦をしていると、働きに出ることはないけれど、日々の家事があり、暮らしを担うという役目がある。

それを十全に果たせているかというとそうではないのだけれど、それでも劇的ではない日々の営みの中から生まれ出る様々な思いをもっと大切にしたいと思う。

 

昼過ぎごろ、朝日歌壇の短歌を鑑賞した。

digital.asahi.com

職場へと行く前われの昼食におにぎりつくる妻の冬の手(和泉市)長尾幹也

 

ああどこか行きたいねえ春になれば啓蟄(けいちつ)を待つ蛙の会話(徳島市)上田由美子

 

立春の午前三時のわさび田の清水汲みきて朝飯を炊く(伊那市)小林勝幸

 

傍らに入院の夫戻りきて「連れ合い」という言葉かみしむ(神戸市)塩谷凉子

 

ぬめる腹いよよ大きく如月の飛騨山椒魚の産卵近し(高崎市)宮原義夫

 

歩き遍路四十七日目菜の花のむこう大窪寺山門見えきぬ(交野市)西向聡

 

あの日どこにいらしたと問えば誰にでもあの日があって十一年過ぐ(東京都)西出和代

こうして心惹かれる自分なりに抜き出して短歌を選んでみると、日常を感じられる歌や、豊かな自然の美を感じられる自然詠の歌は素敵だなと思う。

啓蟄をどう詠むかということをぼんやり考えていた最中でもあったので、

ああどこか行きたいねえ春になれば啓蟄(けいちつ)を待つ蛙の会話(徳島市)上田由美子

という歌の伸び伸びとした調子、春を寿ぐ歌の柔らかさとおおらかさには、心が温かくなる。

また、ここのところ夫婦関係をいかに文学作品で扱うかということに興味があったのだけれど、

職場へと行く前われの昼食におにぎりつくる妻の冬の手(和泉市)長尾幹也

傍らに入院の夫戻りきて「連れ合い」という言葉かみしむ(神戸市)塩谷凉子

という歌からは、愛情とともにペーソスが感じられて、味わい深く、そして切実なところから生まれてきた短歌なのだろうと思う。

「妻の冬の手」というのは、おそらく水などで少し乾燥してしまった手なのだろうと思う。炊事の営みを担う手という情景が痛いほどに伝わってきて、胸がいっぱいになる。

そして「連れ合い」という言葉は用いなくとも、ここのところ夫婦というものは一蓮托生なのだなと感じることが増えてきた。困難な世の中にあって、何とか夫婦ふたりで生き延びていかねばならないという思いを「かみし」める日々が続いている。そういう気持ちに寄り添うような短歌だと感じた。

あの日どこにいらしたと問えば誰にでもあの日があって十一年過ぐ(東京都)西出和代

これは当時長崎にいて東日本大震災を免れた私にとって、その免れたという事実に強い痛みを感じてきたこともあり、とても心に響く一種となった。どこにいても、それぞれの「3.11」という日がある。それをそっと慰撫するような、やさしい短歌だと思う。

自分自身も自然詠をもっと詠みたいという思いもあり、また日々の近しいところから生まれてくる歌をそっと口ずさむような短歌を作れるといいなと願っている。

こうして鑑賞するだけでも、段々と自分の作風に変化が出てきたことを感じずにはいられない。

朝日新聞の存在には随分と助けられている。

今のところはあまり考えていないけれど、また折を見ていい歌が詠めれば朝日歌壇への投稿も視野に入れていいかもしれない。