ANIRON

ひとりごと日記

2022.03.19 松野志保を読む

創作・音楽トピックにお邪魔していました。

aniron.hatenablog.com

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お読みくださった皆様、ブクマをはじめ評価してくださった皆様、ありがとうございました。

今後とも当ブログをよろしくお願いいたします。

 

ここのところウクライナ情勢に震災にコロナにと、ニュースを観ていて気が滅入ったり、気圧や月経の関係で自分自身の体調がすこぶる悪いこともあって気落ちしてしまい、なかなか思うように創作活動ができていない。

読書意欲も落ちていて、ここのところ少し前と比べて本を読みたいと思うことが少なくなり、盛んに本を読んでいる主人に「えらいね」と云うと「そんなこと云わないで。好きで読んでるんだから」と云われた。

私は好きで本を読んだことが、ここ数年の間で一度たりともあっただろうかと思う。

半ば苦行のようにしてしか、本に触れられない日々が続いていて、参っているので軽い本ばかり手に取ってしまう自分にも嫌気が差す。

ここのところ自責感もまた頭をもたげてきていて、「生きていてもしょうがない」「生きている価値がない」と独り言を云う頻度が増えてきた。どうにもよろしくない傾向だ。

うつ病という診断は撤回されて、適応障害という診断名に変わったけれど、大元の統合失調症の病状もよろしくない。

今日は昼頃に「外に食べに行く? 何か買ってきて食べる?」と主人に訊かれて、頭が混乱し、どちらにも答えられなかった。昨日の記憶もぼんやりとしていてあまり覚えていない。

そういう状態なので、なかなかブログも思うように書けず、しばらく主婦ブログの更新が滞りそうだ。

snowrabbit21.hatenablog.jp

とにもかくにも気が滅入ってしょうがないので、ここ数日はお茶を淹れて読みたい本を読んでいる。

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じっくり再読。
特に気に入ったのは山﨑夫妻のお言葉で、「どんなに忙しい日も、つらいことがあった日も、ごはんをつくる。手間をかけなくてもいいから、炊きたてのおいしいご飯が食べられればそれでよしとしてきました。」という一文にはっとさせられた。
私自身も夕食は主人にお任せしているけれど、朝昼と自炊をしていて、時には億劫な日もある。
それでも簡単なものでも良いから作れると、心の健康にもつながるし、それだけで気持ちが満たされる気がしていたのだった。
今回は高山なおみさんの放送回を録画していて、そちらを久しぶりに観て手に取ったのだけど、思いもかけず元気と小さな勇気をいただけた気がした。

 

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いただきものの嬉野茶をのんびりと飲みながら読んだ。
何度も声をあげて笑ってしまって、そしてふと泣きたくなるような絵日記で、あるあるを描きつつ、丁寧で穏やかな日々を送るコアラに癒された。
クマちゃんや、犬のおばけ、カラスといった友達たちも素晴らしく、特にクマちゃんのお母さんの夢は泣きたくなった。
よつばと!』が好きな主人にもぜひ読んでほしい一冊。

この『コアラ絵日記』は朝に読んで、そのまま主人に貸し出すことにした。

主人もさっそくパラパラとめくってくれて、時々顔をほころばせていた。

 

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コロナに関する歌には興味がないので、松野志保の特集のみを読んだ。『月光』のバックナンバーで、松野志保の名があるものも購入した。
口語と文語の狭間で前衛短歌を詠むという試みだけでも刺激的に感じる彼女の短歌は、やはり二次創作、BLといった局面だけでは読み解けないのだと思う。
新作「ハッシャバイ」は思いっきりタイバニに全振りしてたけども、時間が経つともう少しそこから離れたところで読めのかもしれない。

第九回黒田和美賞選評として掲載されていた岡部隆志の評が印象深かった。

たぶん、松野さんは、異世界を通してしか、他者と共有する世界、あるいは共感する世界を表現できない、ということなのかも知れない。一般的には、現実は辛く虚構の世界は夢物語だからファンタジーに人は癒されると考える。が、そうでもない。実は幻想としての異世界の方が酷であって、そこから逃げる場所が現実だという解釈がある(スラヴォイ・ジジェクラカンはこう読め』)。ハイファンタジーを描くアニメで、異世界が逃れられない苦痛の世界であることを突きつけたのは『エヴァンゲリオン』であったろう。『エヴァ』以降、ハイファンタジーにリアリズム(現実を生きる時の苦痛)を求めはじめたと言ってよい。『われらの狩りの掟』はこの流れにある作品ではないかと思っている。

つまり、『われらの狩りの掟』の表現者にとって、描かれる異世界はとても切実であるということだ。その切実さの部分が他者の共感を呼び、開かれた世界にしている。

これは非常に重要な指摘であって、松野志保の受賞のことば「冬眠からの帰還」に

さらには「最初から分の悪い戦いをしているなぁ」ということ。フィクション成分多めの短歌を作っていると、フィクション=作り物や絵空事と捉える人が一定数いるのはどうしても避けられない。私にとってフィクションとは「いつかどこかで起きたかもしれにあこと、あるいはこれからどこかで起こるかもしれないこと」で、たとえばアン・ライスの「ヴァンパイア・クロニクルズ」やタニス・リーの「平たい地球」シリーズなども心底そう思って読んでいる。だからといって、「私の歌は、今現在の私の身に起こっていないというだけで、いつかどこかで起こるものとして読んでください」などという但し書きをつけても詮無いことで、三十一文字だけで読者を圧倒して「ああ、これは紛れもなく本当のことだ」と感じてもらわなければいけないのだから、やはりこの戦いは分が悪いという気持ちがこみ上げてくる。

とあることと呼応する。

私自身も拙いながらもこのような指向性を元に詩を書き続けていて、ここ数日自分の詩の方向性について考え込んでしまっていたので、新たな光を見出した気がした。

エヴァは高校生の頃に旧作のアニメ版を観て、新劇は全て観たものの、漫画版は未だに積んでいて、三巻分しか読めていない。旧劇は怖くて観られずにいる。

一応通ってきたと云えるのだけど、自分自身高校時代に統合失調症を発症したこともあり、あまり記憶にない部分も多くて、その失った記憶の多くは痛みを伴うものなので、なかなか掘り返すことができずにいる。

ただ痛苦を描くということをここ数日ずっと書いてきたけれど、やはりその指向性は間違ってはいないのだろうという確信をこの記述を読んで再確認することができた意義は大きい。

野志保の短歌が載っているバックナンバーは『月光』66号と68号が挙げられているので、両方とも注文した。

歌誌月光68号

私自身、今は短歌はより卑近な場所にあるものを詠んでいて、その方向性には一定の意義はあるのだろうと思っているけれど、それでも時々前衛短歌をまた詠みたいという思いが頭をもたげることもある。

ひとまずその役目は詩に担ってもらっているので、よりエッジの効いた詩をたくさん書いていけるように、今後ともさまざまな詩歌に触れていきたい。