ANIRON

ひとりごと日記

2022.03.22 短歌を詠む、短歌を考える

それから出身地・長崎の隣県である佐賀県の銘茶・嬉野茶の「うれしのみどり」を淹れて、NHK短歌4月号を読んだ。

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まだ途中なのだけれど、NHK短歌の選歌は軽やかな歌の調べを持つものが多くて、読んでいて心和んだり、癒されたりする。

今のところ読んだところでは、江戸雪の短歌が好きだと感じた。柔らかな口語で恋を歌うところが良い。

自選七首がいずれも良かったので載せておくと、

ことばもて君をのぞけば月蝕の匂いのような遠いくらがり

葉の匂いざあと浴びつつさきほどの「君って」の続き気になっている

君にかりたダッフルコートにつく雪を口にふくめばふわっとさびし

君の掌(て)をふりほどきたるさびしさに山茶花今われの上(え)に咲く

わらいあう いつもあなたのさびしさは言葉がたりなくなるとわかるよ

夕暮れはどうでもいいこと考える あなたが猫を呼んでいるとか

ゆっくりと言葉は声に撓うゆえ触れてしまったひとひらの頬

実は私が二度ほど投稿したのもこの江戸雪先生が担当するテーマで、結果はまだわからないけれど、こうして好きだと思える歌を詠む人に短歌を送ることができるのは幸せなことだと強く思う。

無論私の短歌は拙いのだから比べるべくもないのだけれど、作風にも少し通じ合うものがあると感じていて、歌集を買って読んでみたい。

そうして幾らか参っていたところに元気が出てきて、8首ほど短歌を詠んだ。

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shinchoku.net

ここのところウクライナ情勢を意識する歌が多かったのだけれど、今日は疲れ切っていたこともあって、肩の力の抜けた、柔らかな手触りの短歌が詠めたのではないかと思う。

療養詩歌を作るという意識もだんだん変化が出てきて、病は私にとって自明のことだから、そのフィルターを通じて見えたものを詠もうという風に思えるようになった。

これまでは直接的な表現で、あるいはやや誇張したダークな表現で療養詩歌を作っていたけれど、詩はともかく、短歌に関してはそのような気負いも抜けてきて、「日々見たもの、感じたことを詠む」という写生的な作風に変わりつつある。

NHK短歌』4月号の冒頭に、#短歌写真部という企画が載っていたけれど、私は短歌にとって写真はむしろ邪魔になるのではないかと感じている。

目というフィルターを通じて映ったものと、カメラのレンズを通じて見えたものはやはり異なる。私は前者を重んじていて、印象というフィルターを通過したものだけを詠む。

また主人と歩いているときには逐一足を止めて写真を撮っていたのでは、何かと都合が悪いのだ。

歩きながら様々なものを見るために観察を怠らないようにしていて、特に花は意識して探す。好きだからということもあるけれど、花はやはり詩歌にとって大切な主題やモティーフとなりうるものだからだ。

そうすると自ずと短歌に季語を詠み込むことにもなり、歌の色彩がより増すことにもなる。

幸いにも私の住んでいる街ではガーデニングが盛んで、家の軒先のあちらこちらで季節の花が花開いている。それを見つける喜びはひとしおで、あえて写真には撮らずに短歌に詠む。

統合失調症で記憶力が常人よりも遥かに劣る私は、そうして見たものもすぐに忘れてしまうけれど、花の印象はそう簡単には忘れられない。それだけ歌に詠みたいという意識が強いためなのか、あるいは単に好きだからなのかはわからないけれど、昨日、一昨日と、目にした花の印象はいまだに強く覚えている。

写真を撮ってしまうと、どうしてもその記憶のフィルターや印象のフィルターの強弱が掴めなくなってしまう気がする。

村上春樹は『職業としての小説家』の中で、「イマジネーションとは記憶のことだ」という言葉を引用していて、記憶というフィルターの大切さについて切々と説いていた。

小説家にとって観察という行いが欠かせないのは、永井荷風の小説論にも説かれていることではあるけれど、歌詠みにはその観察という行為が、より切実なものとして機能を果たすのではないかと思う。

そう考えてみると、より自分の観察力を上げていかねばならないと強く思う。

上に引用した江戸雪の短歌の数々も、日常のほんの一瞬が永遠のものとして閉じ込められているという点では観察眼が光る作品群となっていると感じる。

その観察をする眼のセンサーをできるだけ細やかなものにしておくことは、歌詠みにとって何よりも必要なことなのだろう。

それはひいては物事を実際に見るということだけではなくて、短歌を鑑賞する上でも磨いていくべきもので、より鑑賞力を高める上でも、細部に目を凝らすことや、自分の物事の感じ方に対してできるだけ感度を上げておくことは大切なことなのだと思う。