ANIRON

ひとりごと日記

2022.03.29 #3 己の弱さを知る

先日、Twitterを通じて友人とやりとりをしていて、彼女は兼業主婦でふたりのお子さんがいらっしゃるのだけれど、何かと忙しい日々を送っているのが文面から伝わってきた。

30代になり、兼業主婦も、専業主婦も、そして独身も、子持ちも、子なしも、皆それぞれに大変な思いをしながら今を生きているのだなぁとつくづく思って、ちょっとした行き違いが発端となって親友のLINEをブロックした自分が情けなく思われた。

今日は昼頃に母とその友人の話をして、皆それぞれに大変だねという話をした。

私は私で病を抱えながら日々をなんとかやり過ごして生きているし、独身の友人たちや妹は皆仕事で忙しく、お子さんがいる友人たちもそれぞれに苦労があるのだろうと思う。

人の苦しみは一様ではないから、自分のことだけでいっぱいいっぱいになってしまうけれど、そういう時に人のことを慮る気持ちを忘れてはいなかっただろうかと自問する時、情けない弱い自分がそこにはいた。

神道という宗教は清明を宗とする他には教義をあまり持たないけれど、その清明から離れてしまっていた自分に気づく。

先日、神社ではなく、義実家の宗旨のお寺にお詣りしたとき、つくづく自分の小ささを思い知った。寺社というものの持つ見えざる力がたしかにそこにはあったのかもしれない。それはパワースポットというよりも、「己の小ささを知るための大きさ」なのだろうと思う。

そうして深く自分を恥じて、LINEのブロックを解除した。まだ親友にはLINEを送っていないけれど、それでも人としてより良く生きたいと思う。

私は弱い人間だから、過ちも犯すし、完全無欠ではいられないけれど、それでも人の労苦に思いを馳せるという点では先ほど書いておいた「痛み」の話とそう大差ない。

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親友にも親友の痛みがあり、私には私の痛みがある。それぞれの痛みはどれも一様に推し量ることはできないけれど、だからこそ思いを馳せねばならないと改めて思う。

図書館から借りてきた本を一通り読み終えたら、改めてフルーツバスケットを読んでみるのもいいかもしれない。

人間の弱さと、それでも良き者であろうとする登場人物たちの姿は、きっと私に力を与えてくれるはずだ。

病苦に負けて、心根が濁ってしまわぬように、清明の二字をこれからも胸に、なんとか日々を生きていきたい。