消耗しきった一日だった。ほとんど何も手につかず、ブログ記事を書いて家事をしたほかには取り立ててやったことはなない。
ここにきて読書意欲が落ちはじめた。今月は新規だけで14冊を読んだけれど、心身ともに不調な日が続いてなかなかつらかった。
今月は12日から詩歌を作った日にGoogleカレンダーに記録をつけはじめて、結果的にこのようになった。
ひとりで黙々と作っているわりにはそこそこ努力できたのではないかと思う。
今日は詩を二篇書いた。
私の場合、詩を書きたいという動機の多くは怒りと悲しみという原初的な感情にあるので、それらが揃っていた今日は何かと捗った。
言葉を尽くして、事細かな事情を書いて自分の感情を表現したいというよりも、自分の心の原初の海にある言葉を掬い出したいと思う。
そうした時に詩が生まれるのだと思うと、なんだかエヴァみたいだなとぼんやりと思う。
そういうわけで今日は「集結の園へ」を聴いていた。
漫画版エヴァも途中で止まったきりになっている。
どうにも漫画禁止の家庭に育ったためか、漫画を手に取るまでのハードルがひたすら高く、読みはじめても罪悪感に駆られてしまって、なかなかすぐに最後まで読み通すことができないので、ここ最近は全く漫画を買っていない。
それでも昨年は何作か漫画を通読したなと思い出す。
できればエヴァも最後まで読みたいのだけれど、しばらく先になるかもしれない。
ただ高校時代にエヴァのテレビアニメ版をこっそりと一人で観たこともあり、やはりエヴァの影響は私にとって多少なりともあるのだろうと思う。
大学時代までは完全に綾波派だったのだけれど、シンエヴァで完全にアスカに転んでしまった。
せめて新劇だけでも再び通して観られたらいいなと思う。
そうはいっても主人はエヴァは宗旨違いでシンエヴァも評価することすら破棄していたので、ひとりで観ることになりそうだ。
ここのところ病状が思わしくないこともあり、映像作品はろくに観られていないので、こちらも当分先になるだろうけれど。
とにかくそうしたマグマのような原初の海から言葉を掬い出して詩に起こしていると、改めて発語することの困難さと、詩が思わぬところで飛躍していく面白さを感じる。
ふと、大学の国文科の授業で学んだ中山みきの『泥海口記』なども思い起こす。
憑依したように生まれてくるもの、原初の海から立ち上がってくる影を捉えようとする心の動き、そうしたものは時に危険を帯びるけれど、それでも私にとって詩を書くことは、そのような危険と隣り合わせでありながらも、やはり必然性を帯びたものなのだろうと思う。
その表現の方向性が美的な方向へと昇華されていく過程を祈りと呼ぶのかもしれない。
今回詩を二篇書いていて、念頭にあったのはやはりアンナ・カヴァンだった。
ふたたび彼女の作品を紐解いて読んでみるのもいいのかもしれない。
声にならない叫びを上げるように作品を書き続けた彼女の筆致を思うとき、その叫びに自分の叫びが重なり合う瞬間があることを詩を書いていると感じる。
まだまだこの二作しか読めていないので、さらに作品を読んでいきたい。
今日のBGMはMount Shrineだった。
ダークアンビエントは一時期聞いていたのだけれど、不調になりそうで少し遠ざかっていた。
再び聴いてみると驚くほど気分にマッチしてくれるので、今後はもっといろんなアーティストの作品を聴いてみたい。