ANIRON

ひとりごと日記

2022.04.11-12 朝日歌壇を読む

創作トピックにこちらの記事がお邪魔していました。

aniron.hatenablog.com

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お読みくださった皆様、評価してくださった皆様、ありがとうございました。

引き続き当ブログをよろしくお願いいたします。

 

日記が書けなくて泣きそうになっている。

この記事は3本目の正直で、1本は没にして、1本は明日公開することにした。

生活のことはあらかたこちらのブログに書いてしまったのと、なかなか本を読めずにいたり、創作ができずにいるので、書けるネタがあまりなかったのだった。

snowrabbit21.hatenablog.jp

本を読めない中でも、創作ができない中でも、さまざまなコンテンツに触れていて、朝日新聞デジタルを利用して朝日歌壇を読んだり、apple musicで音楽を聴いたり、NHKオンデマンドでやまと尼寺精進日記を観たりしている。

ここのところ朝日歌壇はウクライナ情勢一色となっていて、作る立場から見ればその必然性は妥当だし、朝日新聞という場を考えても必然的にそうなるだろうということはわかるのだけれど、一読者としてはもう少し選ぶに際しても多様性が欲しいと感じてしまう。

digital.asahi.com

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はっと心を動かされる作品もあるけれど、もともとさほど時事詠を好まないタイプの人間なので、少々食傷気味になってきた。

時事詠の扱いについてはさまざまに議論があるのだろうし、アマチュアの下手な歌詠みとしては何も語る資格を持たないのだけれど、それでもウクライナ情勢以前の作品は、さまざまな広がりや奥行きがあったように思う。

中には報道映像の一部を切り抜いたような歌も並んでいて、これをこの人が詠む必然性はどこにあるのだろうと思う。誰もが目にしたワンシーンを詠んだところで、それはテレビや新聞の下位互換に過ぎないのではないか。

短歌には一定の報道性があるのだろうし、それは東日本大震災を詠んだ歌の数々を見ても明らかなのだけれど、それを詠む、あるいは小説や詩であれば書くに際して、やはり切実な動機がなければならないのだろうと思う。

実際に自分自身が体感したことを歌に詠むというのがおそらく短歌の基本で、前衛短歌などはそこに含まれないので除外するにしても、やはりテレビで報じられたワンシーンを詠むことにどれほどの意義があるのだろうと思ってしまう。

やはり限りなく自分自身に引きつけて詠まなければ、必然性は自ずと薄らいでしまうのではないか。

私自身も某所に投稿した短歌にウクライナ情勢のことを詠んだけれど、それは自分自身が幻視した光景を織り込んだものだった。ただその幻視という体験が、受け手にどこまで伝わるのか、受け手がいかに解釈するかによって、判断は分たれるのだろうけれど。

大学で国文学を専攻し、テキスト論を踏まえてきた主人と話すと、いかに「作者の思い」というものが瑣末なものなのかということを思い知らされる。

その視点も創作をする上ではなくてはならないものだと思うし、かといって完全に受け手のことばかり意識をしてもやはりいいものは作れない。

……と書いてみると、自ずと創作の話になってしまった。

いかに読むかということはいかに作るかということと分かち難く結びついているから、今後ともこのような機会を設けて、短歌を読み、それについて考える場を作っていきたい。