メンヘラ短歌しか詠めないので夏が来たんだなと思う。NHK短歌には投稿できそうにない代物なので、ネットに公開することにした。
ぎゅんぎゅんと鳴る轟音で満たしてよはつなつの部屋のひとりの夜
はつなつは亡霊ばかり恋しくてもうすぐ死者の季節が来るね
名前なきものを飼う日々はつなつの日差しに当てて消えてほしいよ
発語することもあたわずはつなつにお守りがわりのヒーターつける
甘いもの食べることなど好きだった記憶薄れてうずくまる夏
嘘ばかり演じることに倦み果ててはつなつの日は翳ってゆくよ
嘘よりもはやいひかりでつらぬいて閃光弾を投げてよこして
捨てられたうさぎだものねわたしだけはつなつの夜雷鳴を待つ
この先この連作でまとまった量ができれば、またnoteやBOOTHのPDF折本形式での有償配布をするかもしれない。
現時点ではひとまず7首のみを公開することにしておく。
ちなみに昨夏に詠んだ短歌も似たような作風の仕上がりだったので、やはり私にとって夏とは病める季節であるとともに、被爆地出身ということもあって死者の季節なのだと思う。
こうして作詩・作歌でもしていないと到底生きていけない精神状態に陥っているので、しばらくの間はまた創作に励むことになりそうだ。
詩もうまく書けないながらもここ数日なんとか書いていて、本も少しばかり読んでいる。
ただその本はnot for meだったので多くの言葉を割かない。かねてから気になっていた本ではあったし、今のメンタリティには合うだろうと思っていただけに、とても残念だけれども、文章が到底プロと呼べる代物ではなく、読むに耐えなかったのだった。
小説を書くことについてのハードルを自分自身がガンガン上げてしまっていたということにも気づいたという点では良かったのかもしれないけれど、だからといって文章力もプロットの構成力も皆無なものを読んで安心しているわけにもいかない。
私は大学時代の恩師に読むに値しない本を選んではいけないと口を酸っぱくして指導されてきた。それは史学科という場所だからこそ重点をおいて指導してくださったことだと思うのだけれど、史学だけではなく文学についても、やはり読む本の質は担保しておきたいし、その質が低いと判断したものについてはすぐにでも手放したい。
ただ一つ云えることは、ネットやtwitterを表立ってやっていた時期に影響を受けて買った本の多くがnot for meだったということだ。
やはり本というアナログのメディアには、同じく本の繋がりの中から求めていくか、結局のところ自分の手足を使ってたどり着かなければならないのだと思う。
ネットに拠るのがあまりにもリスキーなのは、それが閉ざされた極度に狭い趣味的な世界で成り立っているためで、単に趣味的に好みかどうかばかりが偏重されているのを多く目にしてきた。
どうにもネット空間とアナログ空間との間にはかなり大きな差異があって、自分自身がアナログに根ざした人間であることを忘れるべきではないのだろう。