ココア共和国に4月分の投稿をした。
投稿したのは先日書いた詩で、いつもより有機的な色合いの濃いものだ。
ここのところ思うように詩が書けない日々が続いていてとても苦しいのだけれど、今月も何とか出せてほっとしている。
統合失調症の病状も、適応障害の病状も著しく悪く、自分の道行は決して明るくないだろうという悲観的な気分に包まれている最中での投稿なので、果たして掲載されるかどうかはわからないけれど、それでも困難な状況にあってなお、こうして前に進んでいることを今は評価すべきなのだろう。
ここのところ心が折れそうな日々が続いているのだけれど、私の作業スペースであるリビングのダイニングテーブルから見える位置には、ポケモンのビートくんのぬいぐるみがある。
かねてから書いてきたように、彼は私にとって詩歌という道へ進むに至る過程でさまざまに思い悩んでいた時に背中を押してくれたキャラクターで、とても大切な存在として飾っている。
ともすれば足を止めてうずくまりそうになってしまった時に、彼の姿を見ると、もう少し頑張ってみようと思える。
私はアマチュアの端くれなので、どうしても高みにある詩人の詩に触れて自分の至らなさに恥入ったり、自信をなくしたりするのだけれど、それでも前に進むしかない。
失ったものばかり数える日々を過ごしながらこの半月を経てきて、詩にもそれは表れているけれど、懐古ではなくしっかり前を見据えていかねばならないと思う。
世の中も不安定な状況だし、未来の展望は決して明るくはないけれど、それでも再び立ち上がらなければならない。
ビートくんがローズ委員長に捨てられたのち、ポプラさんに見出されてフェアリージムのリーダーになったように、私もいつまでも過去に囚われてばかりいないで、過去を振り切って進んでゆきたい。
エミリー・ディキンソンに憧れる気持ちもあるけれど、守りに入るにはまだ早い。積極的に打って出たい。
30代になって、自分のキャパシティの限界も強く自覚するようになり、20代のようなエネルギーはもう残されてはいないけれど、それでも10年間詩を書いてきたという経験だけは私の手元にある。
さまざまに試行錯誤を経ながら、今後とも自分の新たな詩のあり方を模索しつづけたい。