ANIRON

ひとりごと日記

2022.04.21 せめてもの心づくしと外山滋比古『乱読のセレンディピティ』

読書トピックにお邪魔していました。

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お読みくださった皆様、評価してくださった皆様、ありがとうございます。

引き続き当ブログをよろしくお願いいたします。

 

朝から比較的動けて、家事を片づけて不用品の一部を整理してから、生まれて初めてカップ焼きそばを食べたのだけれど、口に合わなくて二度と食べるまいと思った。説明文を二、三度読んで作ったのだが、かやくを湯切り前の段階で入れ忘れた。

それからルピシアの夢がたりでお茶をしてお口直しをし、その後リモートワーク中で昼休みを取った主人が郵便物を投函してくるというので、義実家宛の新築祝いのお礼状を出してきてほしいと頼んだ。

私は体調不良で電車に乗れないため、主人だけ帰った帰省先で、さまざまな食品をいただいたこともあり、そのお礼も兼ねてという形になった。

使ったのは山種美術館のHPで購入した牡丹の柄のポストカードで、この時期には似つかわしい。

山種美術館 桜と花の絵画 絵はがき10枚セット ¥1,100

目上の方にも失礼にならない絵柄でもあるし、義母さまは植物がお好きな方だから、喜んでくださると良いなと思う。

我が家は父の日・母の日はそれぞれの実家に贈るという方式をとっているため、母の日のギフトは主人にお任せすることになるけれど、心のこもったお品を贈れれば良いなと思う。

実母にはルピシアのこちらのセットを贈ることにした。

www.lupicia.com

実家は何かとこだわりの強い家風のため、消えものの方が都合がいいのだ。

ルピシアの紅茶の詰め合わせは私自身も以前義実家の皆様からいただいたことがあり、とてもうれしかったので、紅茶をよく楽しんでいる母も喜んでくれると良いなと思う。

そうして贈り物を選ぶのはやはり楽しい。

それから主人が昼休みに郵便物を出すついでにと、主人の好物のチョコもなかジャンボを買ってきてくれたので、ルピシアダージリン1stフラッシュでお茶をした。

カップ焼きそばを食べた後だったので、半分だけいただいた。

普段は甘いものはあまり食べないようにしているので、これからの数日はできるだけ節制をしたい。

それから詩を書いた。

今のところここ二週間はなんとか詩を書いたり短歌を詠んだりしていて、精神的に少しずつ落ち着いてきているのかなと思う。

読書もなんとか再開できた。

とにかくなんでも良いから読めば良いのだと思うと、自然と本に手が伸びて、今は外山滋比古『乱読のセレンディピティ』を読んでいる。

気の小さい人は、三、四冊読みさしの本をこしらえると、自分の才能を疑う。知的なことには向いていないのだと勝手に決めつけて、本との別れをする。少しにぶいような人が、たび重なる失敗にもめげず、読むことを続けていくと、やがて開眼。本とはこんなにおもしろいものかという発見をするのである。

──外山滋比古『乱読のセレンディピティ』扶桑社文庫、2016年、p43

 

自分の意味をまるで持ち込めないような本は、百遍は愚か、一度の通読もできない。はじめのところで、投げ出してしまう。とにかく、何度も読めるのは、どこかおもしろいからである、なにがおもしろいか、といっては自分の考えを出すことほどおもしろいことはない。わからないところを、自分の理解、自分の意味で補充するのである。一種の自己表現である。隅から隅までわかり切ったことの書かれているような本では、こういう読者の参入はあり得ないから、たいへんつまらない。

──外山滋比古『乱読のセレンディピティ』扶桑社文庫、2016年、pp46-47

 

本はじっくり丁寧に読むべきものという考えをいつしか抱くようになる。

必要以上に、慎重に、ということは、ゆっくり、丁寧に読むべきものという意識にとりつかれる。つまり、読む速度がおそすぎるということになるのである。おそいのが丁寧なのではなく、ことばに底流する意味の流れをとめてしまい、意味を殺して、わかりにくく、おもしろくないものにしてしまう、ということがわからないことが多い。

したがって、スピードをあげないと、本当の読みにはならない。十分間で一冊を読了という電光石火の読みは論外だとしても、いま考えられている読書のスピードでは、ことばの生命を殺しかねない。

──外山滋比古『乱読のセレンディピティ』扶桑社文庫、2016年、p75

 

おおよそ美文とは云い難い文章で、初読時にはこの軽薄な語り口がどうにも好ましいと思えず、ほとんどまともに読まないまま売り払ったのだけれど、改めて買い戻して読んでみるとおもしろい。

私は読みさしの本が二冊を超えるとだんだん焦りが生じてきてしまうタイプなので、併読にはあまり向いていないのだけれど、持病によって目が滑るという特性上、人よりも文章を読む速度が速い。

主人から速読ができるのは羨ましいと云われたものの、私はそれを褒められたことだと思えずにいた。

しかし速読ができるということは、それだけ多くの本を読めるということでもあるし、もっと読書に励んでいかねばならないと思う。

私は幼少期は一日一冊は本を読んでいたけれど、持病を患ってからはどちらかというと本を読むのが苦手なタイプだと思ってきたし、今もその思いは変わらないけれど、どのみち持病は悪化の一途を辿るばかりだろうし、自分の特性を読書にもっと生かしたいとも思う。

ちなみに本を読めないながらも朝日新聞デジタルNHKニュースWEBの記事は毎日読んでいて、その際にも速読が役に立っている。

www.asahi.com

www3.nhk.or.jp

またブクログを非公開で使っていて、再読本は目標達成の冊数にカウントされないため、どうしてもここのところ再読する頻度が落ちてきているのだけれど、もともと私は再読が大好きで、どうかすると同じ本ばかりを何度も何度も読んでいる。

そのことに対してもあまり良いことだと思えずにいたけれど、こうして読書術の本に触れてみると、改めて再読の良さがわかるし、罪悪感を抱かなくてもいいのだとうれしくなる。

読書術の本はできるだけたくさん読んでいきたい。

今のところ読んだ中では松岡正剛『多読術』がとても良かったし、こちらも再読したい。

私は電書で買ったのだけれど、できれば紙で書い直して手元に置いておきたい。