ANIRON

ひとりごと日記

2022.05.03 泣くための遠回りな行為としての作詩について

思えば拒食になったのもうまく泣けないせいではないかと思うのだけれど、そういうことはどうでもよくて、地面がひたすら揺れている気がするのだけれど、水は揺らがない。

何もかも拒んだ先に光はあるのでしょうか。

ココア共和国からメールが来ているのにまったく気づかず、内容はといえば、テンプレートのみで本文が送信できておらず、至急本文を送るようにとのことだった。

詩はきちんと用意していたのだけれど、空メールのような状態になっていたらしい。気づいたのが昨夜のことで、締め切りをとっくに過ぎていたので、来月号に私の詩は載りません。

5月号には載っているので読んでいただけるとうれしいです。

そういうわけで随分と気落ちしたし、拒食状態のせいか目がかすんだりするので、仕方なく3食を取った。昼食はinゼリーだけだけども、まあ食べないよりはいいでしょう。

ココア共和国から出国すると気炎を吐いたものの、この調子では郵便局まで行けそうにないので、つき返されるのを覚悟して切手を買って投稿することになるかもしれない。

調べたところ、A4用紙4枚までは84円切手で送れるらしい。

lab.pasona.co.jp

まずはユリイカを買って応募規定を確認しなければならない。現代詩手帖は手元にあるのですぐにわかる。このため、現代詩手帖から優先的に投稿したい。

ココア共和国には9回投稿して7度佳作として採っていただいたけれど、ココア共和国とは違ってすぐに結果が出ると思ってはいないし、年単位で粘る必要があるのは承知している。一年、二年がかりで詩を投稿しつづけたい。

それにしても今回のミスと病状の悪さ、主人の外出による不在、気圧の急上昇というコンボが決まって絶不調だったので、詩を書くしかなかった。

エミリー・ディキンソンはほとんど誰にも見せないまま詩を書き続けたために詩にタイトルがないと吉増剛造『詩とは何か』で読んだけれど、私も投稿していない詩にはタイトルをつけていない。

詩は全て即興で書いているので、タイトルを考えているゆとりがないのだ。どこからか溢れてくる詩語を片端から聴いて詩に起こしていく。

詩を書く必然性が揃ったときに初めて詩が生まれてくる。この詩の呼び声を待ちつづけなければならないのもなかなかつらいけれど、詩とは羽の生えた生き物に等しくて、捕まえるためにはただ待たねばならない。

量をこなせる時期はそれでいいけれど、ただこなせばいいというものでもなく、詩として自立させるために着地点を見定めながらも、詩の動きには抗わない。書きたい時に生まれるというよりは、書かざるを得ない時にしか生まれないもの。それがおそらく私にとっての詩なのだと思う。

そして私の病が終わらない限りは、私はもはや詩を書くしかないのだろうとも。

ホラー小説を書きたいという思いも一方ではあるけれど、以前ほど小説にこだわる気持ちは少なくなってきた。小説を書くことよりも、もっとコアな部分で詩を求めている。

視界の先には詩歌の道を選ぶにあたってお守りのように大切にしているポケモンのビートくんのぬいぐるみがある。

気持ちはどんどん弱っていく一方だけれど、なんとか前を向きたい。