ANIRON

ひとりごと日記

2022.05.07 石原吉郎「失語と沈黙のあいだ」を読む

相変わらず『石原吉郎詩文集』を読んでいる。

失語という問題について、石原吉郎はまず次のように定義する。

ことばについて、ことばで語れば語るほど、ことばそのものが脱落して行くという状態を、私たちはもう経験しすぎるほど経験しています。私たちは、いわばこういうかたちで、やがてはことばの失速状態、失語(下線部傍点)におちいって行くわけですが、さらに、語られる問題がことばそのものであり、それを語る手段がことばであるという関係によって、加速度的に行きづまらないわけには行きません。

──石原吉郎石原吉郎詩文集』講談社、2005年、p137

言葉を尽くして語れば語るほど、言外に意図するものがどんどんこぼれていくのは、私も常々ブログを書いていて感じたり、あるいは近しい人と話している時に感じるのだけれど、言葉を使わずに言葉を発することはできず、さらに発すれば発するほどこぼれていく言葉が生じるのは、なんとも苦しい。

さらに石原は失語状態に陥っていたソ連での強制労働の25年間を経て、ようやくその体験が失語状態にあったと認知するに至るのだが、その体験はあくまでも孤独なものであったという。

失語という過程について、私が関心をもつもう一つの問題は、それが周囲の人間とは無関係に起る、完全に孤独な出来事だということです。私は囚人として強制収容所という圧倒的な環境のなかで、いわば集団として失語状態を経験したわけですけれど、失語そのものは、一人の個人について固有に起こった(下線部傍点)としか考えられません。周囲の人間に無関係に、という理由は、ことばをうしなう過程そのものが、人間にたいする関心をうしなって行く過程でもあるからです。

では、ことばというものは、一人きりになった人間にとって、どういう意味をもっているのでしょうか。(…)ことばは結局は、ただ一人の存在である自分自身を確認するための一つの手段である、という認識に到達せざるをえません。ことばは結局は、自分自身を納得するために、自分自身へつきつける疑問符とならざるをえません。

──石原吉郎石原吉郎詩文集』講談社、2005年、p140

この文章を読んで我が身を振り返るとき、そこには統合失調症で発語の際に支障をきたす自分の姿があって、その支障が対人関係に著しい問題を生じさせるとともに、自分自身が言葉を発するに際して、非常に不快な葛藤やもどかしさを生んでいるということに気づく。

結局のところ私がこうして誰に届くかもわからない文章を書き連ねているのも、詩を書いているのも、それが私個人から発していながらも、その個人の内部に深く留まらざるを得ないというジレンマを抱えているからであって、他者との関わりの中で、私の文章がどこまで届くものなのか、あるいは言葉が受容されうるものなのかは、よくわからない。

だからこのブログはSNSには一切つながない、秘境駅のような、あるいはもっと云えばきさらぎ駅のような場にしておきたいと思っているし、検索を通じて辿り着いた方や、はてなブログ内から辿り着いた方がいたとしても、あくまでもどこかネットという環境から疎外された場に、あるいは自ら疎外される場に位置しているのだと思っている。

個人の中に留まりながらも、他者に向かって開かれている。閉ざされながらも開いている。

そのような場としてこのブログがあり、あるいは詩がある。

ただ、その他者と自己との関わりの中で言葉が機能するにあたって、初めて言葉を発する折に、どうしても生じてしまうためらいや、おののきを、そう簡単に片づけていいものではないことは確かで、吉増剛造『詩とは何か』において、言葉を発する際の「痛苦」こそが詩の根幹となるものだという指摘がなされていた。

でも、それでも表現はしたいのです。言表不可能なものを前にして、立ち竦み、だが、どうにもできないことをあらかじめ知っていながらも、それでもどうしても、何かを言いたい、表したい、でも、それはできない。でも、それでもやっぱり何かを表出しないでおくことは出来ない、……そんな苦悩、もどかしさ、激しく身を捩るような「もだえ」と切迫感、……言葉が言葉にそって尋ねているような、木霊(こだま)というよりもじつに哀切な襲ね合わせ、そういった、根源的な「痛苦」に対してなんとか表現を与えようとする苦闘、エミリーのときにみましたような「無言の言語」、「しるし」が「──(ダッシュ)」として、ツェランにもあらわれてきています。その「痕跡」が。ツェランの「詩」と呼ばれているものなのです。

──吉増剛造『詩とは何か』講談社、2021年、pp87-88

石原吉郎もまたそのような言葉のぎりぎりの境界線に立って、その言葉が生まれ出ようとするまでの痛みを感じずにはいられない人間だったということなのだろう。

私は詩論に関してはまだまだ疎いし、そのエッセンスのいくらかも解しているとは云い難いのだけれど、それでもこうして二冊の本を重ね合わせると見えてくるものもある。

この石原吉郎詩文集も、おそらく今年のベスト10冊入りを果たすことになるだろう。

時間をかけて考えながら熟読していきたい。