ANIRON

ひとりごと日記

2022.05.08 小泉堯史監督作品「雨あがる」を観る

ここのところトピックをあまり確認していたなかったのですが、こちらの記事が創作・読書トピックにお邪魔していました。

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お読みくださった皆様、評価してくださった皆様、ありがとうございました。

 

Apple TVにて小泉堯史監督作品「雨あがる」を観た。

もともと主人が観たいと話していて、ハートフルな、夫婦の物語を読みたい/観たいと思っていた身にはタイムリーだった。

ハートフルで人情味あふれるストーリーながらも、プロットの構成力が高く、先日観た韓国映画「はちどり」で感じた不完全燃焼感を払拭してくれるような作品だった。

まず冒頭の宿場の宴会の場面があまりにも良すぎる。

牧歌的ながらも、肩を寄せ合い、己の欲だけに寄りかからず、助け合って生きていく市井の人々の尊さ、という思想が徹底して貫かれた作品で、主人曰く、原作者の山本周五郎は時代小説における、市井もののパイオニアということだった。

腕の立つ浪人である主人公は、ご法度である賭け試合によってご馳走となる食材を宿場の人々にもたらす。

赤らけた顔のおばさんが調子良く歌い、それに合わせて人々が囃し立てながらごはんを食べている様子を見ていると、なんだか「失われてしまったものの宝石のような煌めき」が詰まっているような気がして、無性に泣きたくなってしまった。

この場面がこの映画にとって最上のシーンとして作られていて、それが冒頭に提示されることで、鑑賞者は物語に引き込まれてゆく。

中盤に妻・たよが、その晩に老人が「生きてきてこんなに良いことはなかった」と聞いて、胸がいっぱいになったと夫である主人公に告げるシーンがあり、主人公が「そういうあなたを見ている方が……」と返すシーンもあって、このシーンが重要なターニングポイントとなっているのだけれども、そのプロット上のキーポイントと、演者の演技の素晴らしさが重なり合っていて、ここも印象深いシーンだった。

寺尾總演じる主人公は丁寧すぎる物腰で人々や妻に接し、その人柄は土地の殿様も惚れ込まれていく。殿様はずいぶんと破天荒で、飾らない人柄であって、慣例通りにことを進めようとする周囲はものともせずに、主人公を召し抱えようとする。

ただし仕官が叶うかに見えたところで、主人公の犯した賭け試合という罪が明るみに出る。主人はこれに対して妻の言葉によってその罪が昇華されることで、この物語は一つのゴールへ辿り着いたと云っていた。

プロットを構造的に見ればそういうことになるのだけれど、個人的には仕官が叶わないことで、むしろ主人公の思想が全うされるというところが到達点であって、ラストシーンにタイトルの「雨あがる」というワードが凝縮されているところが美しいと感じた。

たとえ仕官が叶わなくても、賭け試合によってその志は殿様に届いていたというのは、ベタだし、性善説の塊のようなものなのだけれど、この物語においてはリアリティをもって成立している。

こんなに良い人がいるはずがないとか、こういう道徳的なセリフを云うわけがないとか、一つひとつのリアリティには欠けているのだけれど、それをプロットの力で思想として完成させていて、改めて物語におけるプロットの力の重要性を思わずにはいられなかった。

また妻・たよの一つひとつの所作の美しさや大和撫子然とした物腰の上品さは、やはり昔の日本映画ならではの魅力だなと感じる。昔の日本映画の発声の美しさも、今はもう失われてしまったものの一つだ。

演技めいた演技というものが時代に合わなくなっているのかもしれないけれど、そうした演技の型が失われてしまっている今の映画よりも、私は昔の映画の方がよほど好きで、一時期は黒澤作品をはじめ、篠田正浩作品、鈴木清順監督作品も少しばかり観てきた。

心中天網島

心中天網島

  • 岩下 志麻
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主人は小泉堯史監督作品をもっと観たいと話していて、特に「阿弥陀堂だより」はパニック障害を患った妻を田舎で療養させる話だと知って、ぜひ近々観たいと云っていた。

私もこの作品はかねてから観てみたかった作品でもあるし、映画を観るのはどちらかというと苦手で近年はあまり観なくなっていたのだけれど、また時間をとって観れればと思う。