ANIRON

ひとりごと日記

2022.05.09-11 大腸内視鏡検査を受けることになりました

5/10は一睡もできないまま4時になり、こうして眠って12時ごろ起きた。

「人間は悲しいんですから」という「雨あがる」のセリフがぐるぐると頭の中を巡っていて、悲しみを抱きながらも、それを昇華させるために詩を書かずにはいられない我が身の情けなさを思った。

ちなみにこちらの記事は映画トピックにお邪魔していたようで、お読みくださった皆様、評価してくださった皆様、ありがとうございました。

aniron.hatenablog.com

それから詩を書いた。

なかなか思うように創作ができない日々がまたはじまったようなのだけれど、それでも窮すれば窮するほどに詩を求める心は強くなるばかりなので、詩を友としていてよかったなと思う。

 

5/11に再び胃腸の調子を崩し、内科を受診したところ、大腸内視鏡検査を受けることになった。前回の受診でも検査を勧められていたのだけれど、不安感が強かったため、ひとまず様子を見ようということになっていて、再度症状が出たので内科を受診したのだった。

看護師の先生から詳しく説明を受けたのだけれど、気が動転していてあまりきちんと覚えていないので、もらってきた書類に今一度しっかり目を通したい。

5/20が検査日で、5/25が引越し予定日だ。なんとも間が悪いけれども、なんとか乗り越えたい。

三度出血しているため、おそらく何かしらの異常があるかと思うし、メンタルの持病の影響で保険に入れないので、あまり大きな病気でないことを祈るばかりだ。

検査は初めての経験で、なかなか大掛かりなものとなりそうで、今から気が重い。

帰宅して、食欲はあまりなかったけれど、少しでも気持ちを落ち着けるために、大判焼きルピシアの夢がたりでお茶をした。

何もなし得ないまま死ぬかもしれないという思いが頭から離れない。私にとって大切に書き溜めていた詩も、日の目を見ないまま終わってしまうかもしれない。

エミリー・ディキンソンは死後に多数の詩が発見されたし、シモーヌ・ヴェイユもまた生前は全く光を当てられることなく、死後に評価された。宮沢賢治にしても同様だ。

ただ私には彼らほどの才能があるわけではないし、書いてきた詩は主人に託そうと思っているけれど、主人がどのように扱うかはわからない。おおよそ万人に好かれるタイプの作品でないので、詩の話は極力しないようにしてきたという背景もある。

ただ、やはり埋もれたままにしてほしいと思えるほどの達観がまだできない。

かといって全作品をネットに投稿する気にもなれないし、家族の分とリアルの友人に配る分だけ同人誌を刷るのが良いのかもしれない。もっともそれを読みたいと思える人がどれだけいるのかは分からないけれど。

形見の品なども考えはじめてしまってどうにもよろしくない。LANVINの日傘は買ったまままだ開封していないので、フェミニンなものが好きな実妹に譲ろうかとか、主人には何を残せるだろうかと考えてしまう。

主人は私が先に死んだとしても、私の蔵書を後生大事に守るつもりはないと云っていたので、もし万が一のことがあれば、もっとも大切な、三一書房須永朝彦宛署名入り『葛原妙子歌集』と、初版本の泉鏡花『斧琴菊』は、歌会でお付き合いくださったまさやまさんにお礼をこめてお贈りしたい。

二冊であればさほど負担にもならないだろうし、彼女ならきっと大切にしてくださることと思う。

などと考えはじめるとキリがないのだけれど、せいぜい生き延びられるうちは生き延びたい。