ANIRON

ひとりごと日記

2022.05.12 創作進路相談

体調の懸念は少し晴れた部分があり、検査を受けるかどうかを含めて医師と相談したいと考えている。

というのも、胃腸の症状が出た時期と、トマトジュースを買って読むようになった時期がちょうど重なっていて、それが原因なのではないかと思い至ったのだった。

取り越し苦労もここまで来れば見上げたものだと我ながら呆れてしまったのだけれど、ひとまず現時点では出血らしきもの以外に目立った症状もないし、もう少し様子を見てもいいのかもしれない。

なにぶん初めての経験だったこともあり、引っ越しに伴うストレスや不安が重なっていた最中での出来事だったので、あまりにもナーバスになりすぎていた節がある。

とはいえ万が一のこともあるし、やはり検査をした方がいいのであれば受けたいけれど、引っ越しの5日前ということもあり、できれば下剤は服用したくはない。

そういうことを医師と相談できればいいのだけれど、あいにくと今日は休診日ということもあて、話ができなかったのだった。

 

さて、ここのところ頭を占めている問題は他にもあって、それは再び小説を書くのか、それともブログでの執筆をベースとしつつ、詩歌を作る方向性で行くのかということだ。

自分ひとりではなかなか結論を出せていなくて、先送りにしてきた部分もあった。

しかしメンタル面の体調が年々悪化しているという現実と、ブログであれば一日6000字書いても疲れないのに、小説はそうはいかないし、小説講座でプロットを立てるのにつまづいてしまって適応障害になり、結局のところ私は作家にはなれないのではないかという挫折感の傷跡もまだ痛い。

そこで手に取ったのが『なんでもない毎日がちょっと好きになる そのままの私で幸せになれる習慣』という本だった。

電子書籍で買ってすぐに読んだ。

幸せになりたいという尺度で将来の進路を選択していいのだ、ということがはじめに提示されていて、その言葉だけで心が軽くなるような思いになった。

私にとって、小説講座に加入してからは、小説と向き合うことはただただつらいことになってしまっていて、楽しさや喜びをそれまでよりも感じられなくなっていたなと思い起こす。

詩を書くことも、短歌を詠むことも決して楽しいばかりではないし、詩に関してはつらい気持ちを昇華するために作っているので、なかなか詩と向き合うことは厳しい道のりだと若輩者ながらも感じている。

ただその苦しささえも喜びとして感じられるのが私の場合は詩であって、おそらくプロットを構造的に練り上げて作る小説には感じられない類のものなのだろうということは分かる。

無論、俯瞰的・客観的に小説を組み立ていけるだけの能のある人にとってはこの限りではないのだろうけれど、少なくとも私にとってはただただ苦しい作業でしかなかった。

自由に自分の好きなものを書く、ということが、小説の場合はどうしても通用しない。

幻想小説のようなジャンルもあるけれど、それは狭き門だし、完全に小説というものから自由になることは難しい以上、よほどの才能がなければ無理な話であって、私にその才はないのだろうと今は思う。

以前吉増剛造『詩とは何か』を読んだときに、彼が小説は嫌いだと語っている箇所があった。

吉増さんはずっと「小説嫌い」を公言されてきましたが、どうしてなのですか?

どうしてなのでしょうね。まず第一に「筋」を辿るということへの嫌悪です。つねに、逸脱、越境、飛躍、直観、驚異、……と、心の奥底の小声を列挙して見ましても、それはわかります。

──吉増剛造『詩とは何か』講談社、2021年、p257

これはまさに私の嫌悪感に等しく、読むのはまだしも、小説を書くのに際して、自分の外側にあるものを使って筋を作っていくという作業がどうしても嫌悪感を催さずにはいられないのだ。

どこまでも内省的で深く自分に根ざしたところでしか創作をしたくない人間にとって、小説とはそこから離れざるを得ないところがあり、おおよそ商業小説というものはそのように成り立っている。原点は自己という存在を起点としてはいても、やはりナラトロジーの文脈を抜きにして小説は成立し得ない。

そうした筋を構築していく作業が好きな人は小説に向いているのだろうけれど、私はやはりもっと生々しい部分を重んじる人間なのだと思う。

詩にも詩なりの成り立ち方というものがあるし、おおよそそれを抜きにしてあらゆる文学作品は成立し得ないのだけれど、それでも詩は同時にどこまでも自由だと感じている。その自由さを私は何よりも愛しているし、詩を友とする理由もここにある。

ブログについても書こうかとも思ったのだけれど、詩と小説について語るだけで随分と字数を費やしてしまった。

ただ、以上に書いてきたように、私にとって詩を選ぶということは、偶然ではないのだということ、今後とも詩を唯一無二の友としたいことを踏まえた上で、やはりそれでも詩歌を作っていきたいと思う。