低気圧で消耗した一日だった。
時折鈍い腹痛はあるものの、動くのに支障はなく、それでも検査は予定通り行う方向で家族と話している。少々、いやかなり気が重いのだけれど、何事もないことを祈るばかりだ。
ここのところやっていることと云えばもっぱら某所からいただいた仕事か、ポケモンGOか、家事か、ブログかばかりで、なかなか気持ちの整理がつかないこともあって、詩歌を作れていない。
本は読んでいるのだけれど、石原吉郎から脱線して、最近はもっぱらKindleで軽めの本ばかりを読んでいる。
どうにも引越し準備で気忙しくて、なかなか落ち着いてずっしりと重い本を読めない。
あいにくと新居に移らないと本を買うに買えないので、ここのところはもっぱら電子書籍を買っている。
それはこちらのブログに書いたので多くは繰り返さない。
ただ卑近なところにある本ばかり読んでいると、自分の大切にしている芸術的なものからどんどん離れていく気がして、どうにも不全感が残る。
できれば詩歌などにももっと触れたいし、あるいは美術書なども気になるものがいくつもある。
そうして自分の大切にしているものを犠牲にせざるを得ない現状は、なかなかやりきれないものがある。
コロナ禍もあり、また持病の悪化もあって、美術館や画廊にももう当分は足を運べないだろうし、せめて美術書を買ってそのエッセンスだけでも味わないと、なんら生きることに価値を見出せない。
せめて今は早く検査を無事に終えて、引越しがきちんと終わることを願うばかりだ。
ココア共和国への投稿も再び考えたいと思っている。
現状では体調上の不安や、引越しという制約もあり、なかなかネットで投稿できる場でないと投稿するのが困難だという現実がある。引越してひと段落するまでは、ひとまずココア共和国に投稿をしていきたい。
そういうわけでココア共和国に投稿した。
先月はこちらのミスで空メ状態で原稿を送ってしまい、気づくのが遅れて投稿ができなかったけれど、今回はしっかりと確認をしたので、大丈夫だと思う。
投稿をすることが創作のモチベーションにもつながっているから、引き続き投稿する場を積極的に見つけて投稿を重ねていきたいと思う。
それから新たに詩を書いた。
大幅にペースが乱れているけれど、それでもなんとか詩作をつづけている。
どうにも海というモティーフから離れられないのは、私が長崎生まれの海育ちの人間だからなのだろうと思う。
今は知床沖で懸命に捜索が行われているところだから、それを踏まえた上で、海と死者というテーマを扱わざるを得ないのが現状なのだけれど、それでもそのことを念頭に置いた上で詩を書くのと、あくまでもフィクションだからと割り切って詩を書くのとでは、やはり態度として大きな違いが生まれてくるのだろうと思う。
私はどちらかというと耽美的なイメージとして死を描くことはあるけれど、それでもやはり死を冒涜することは何人たりとも許されるものではない。
そういうことをできるだけ丁寧に扱わないと、大きな過ちを起こすことになる。
それは私が被爆地に育ったからということもあるし、被爆の他にも大水害・キリシタン迫害・大噴火という記憶が刻み込まれた土地にあって、歴史の中に、あるいは地続きの今において、死はいつでも身近にあった。
その土地から離れた痛みは今なおつづいていて、おそらく終生癒えることはないのだろうなと思う。土地に生きていたから幸せだったかというと決してそうではないけれど、それでも土地から離れたところで人間は生きられない。
そのことを忘れずに詩作に向かいたいと考えている。
本日のBGMはLoscilの新譜だった。
もっとアンビエントを聴きたいと思うのだけれど、Apple Musicの契約が今月21日で切れるので、それ以上つづけるかどうかはじっくり考えていきたい。